テキストサイズ

花鬼(はなおに)~風の墓標~

第8章 【浮寝鳥(うきねどり)】

「熊さま」
 伝次郎は身分は武士とはいえ、靖政に抱えられる小者にすぎない。戦に出る際はあくまでも雑兵として扱われる。本来ならば、先の戦の功で取り立てられるはずであったのが、不具となったばかりに出世もできなかった。
 それでも暇を出されなかったのは、ひとえに仁科靖政の恩情であった。
 靖政に仕える小者とたとえ養女とはいえ、玄武の領主の姫である熊とは歴然とした立場の違いがあった。
 だが、熊は甲斐の国に人質として来てから、これほど誰かを身近に感じたことはなかった。
「ごめんなさい、どうしたのかしら、私」
 泣くまいとすればするほど、涙は溢れてくる。まるでこの国に来てからの二年間分の涙が一挙に溢れてくるようだ。
「人前では泣かないと決めていたのに」
 そう呟いた時、熊の身体はふいに伝次郎に引き寄せられていた。
「泣けば良い」
 耳元で伝次郎が囁いた。
「好きなだけ泣けば良い」
 伝次郎がおずおずと熊の髪を撫でた。
「いつも我慢ばかりしていたら、心が壊れてしまう。たまには泣きたいだけお泣きなさい」
 伝次郎の言葉に、熊は幾度も頷いた。不思議な男だった。初めて間近で話をするのに、何の違和感も抵抗感も感じない。この男といると、まるでずっとこれまで一緒に過ごしてきたかのように安らげる。

ストーリーメニュー

TOPTOPへ