
花鬼(はなおに)~風の墓標~
第8章 【浮寝鳥(うきねどり)】
「苦しうない、面を上げられませ」
その声に、熊はわずかばかり顔を上げた。
臈長けた美しい女性であった。勝子は熊を見て微笑んだ。
「まあ、何と愛らしい。その打掛がようお似合いじゃ」
何と応えたら良いものかと戸惑っている熊を見、勝子は笑みを含んだ声音で続けた。
「その打掛は私が見立てたものにございます。半月ほど前にお屋形さまが年若い女子に贈るゆえ、何か適当なものを見繕うようにと仰せられましてな。はてさて、お屋形さまがまたいずこかの娘を見初められたかと思うておりましたが」
刹那、熊は身を強ばらせた。まさか、この身に纏うた打掛が信虎からの贈物だとは想像だにしなかった。この打掛は今朝、奥方とのの対面用の晴れ着に靖政が用意したからと侍女が持ってきたのだ。熊はそれを素直に信じていたのだが、現実には信虎が勝子に命じて用意させたものだという。
色も柄も控えめで、熊はひとめで気に入っていたのだけれど、あの冷酷な男がしかも妻に選ばせたのだと聞き、俄に厭わしい想いがしてきた。軽いはずの打掛が何故かずっしりと重たさを増したように思うのは気のせいだろうか。叶うならば、今すぐにでもこの場に脱ぎ捨てたかったが、勝子の前でそんなことができるはずもない。
その声に、熊はわずかばかり顔を上げた。
臈長けた美しい女性であった。勝子は熊を見て微笑んだ。
「まあ、何と愛らしい。その打掛がようお似合いじゃ」
何と応えたら良いものかと戸惑っている熊を見、勝子は笑みを含んだ声音で続けた。
「その打掛は私が見立てたものにございます。半月ほど前にお屋形さまが年若い女子に贈るゆえ、何か適当なものを見繕うようにと仰せられましてな。はてさて、お屋形さまがまたいずこかの娘を見初められたかと思うておりましたが」
刹那、熊は身を強ばらせた。まさか、この身に纏うた打掛が信虎からの贈物だとは想像だにしなかった。この打掛は今朝、奥方とのの対面用の晴れ着に靖政が用意したからと侍女が持ってきたのだ。熊はそれを素直に信じていたのだが、現実には信虎が勝子に命じて用意させたものだという。
色も柄も控えめで、熊はひとめで気に入っていたのだけれど、あの冷酷な男がしかも妻に選ばせたのだと聞き、俄に厭わしい想いがしてきた。軽いはずの打掛が何故かずっしりと重たさを増したように思うのは気のせいだろうか。叶うならば、今すぐにでもこの場に脱ぎ捨てたかったが、勝子の前でそんなことができるはずもない。
