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花鬼(はなおに)~風の墓標~

第8章 【浮寝鳥(うきねどり)】

 襖が開き、勝子が衣ずれの音を立てて去ってゆく。頭を下げたままで、熊は眼も眩むような烈しい怒りに襲われていた。
 あまりにも身勝手で一方的な言い分であった。勝子の高圧的な態度は、端から玄武の国と高影を見下していて、その家臣の娘である熊なぞ人とも思っていないのがありありと窺える。あまつさえ、熊が堀田伝次郎を庇ったのも、すべては信虎の眼に止まるための計略であったのだと信じられないような暴言であった。
 が、この時、熊に向けられた勝子の瞳の奧に秘められた感情に、利発な熊も気付くことはなかった。良人の言うなりになる生き方しかできない女の眼の奧に燃え盛る烈しい妬心―、賢夫人で知られた大井のおん方が束の間見せた夜叉の顔であった。
 ここにもまた、運命に抗えぬ哀しい性(さが)の女がいた。
 大井の方へのお目見えを終え、熊は奥座敷を退出した。その帰途、磨き抜かれた廊下を歩いていたときのことである。
 向こうから愛らしい童女が歩いてくるのが見え、熊は思わず歩みを止めた。七歳ほどの女の子は鶴丸を織り出した紅い小袖を着ていて、肩の下辺りまで伸びた振り分け髪がよく似合っていた。なめらかな肌に印象的な黒い瞳がまるで歩き出した御所人形を思わせた。あと数年ほど経てば、どれほど美しくなるかと今から偲ばれるほどである。

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