花鬼(はなおに)~風の墓標~
第9章 夜明け―永遠へ―
勘の良い康一郎のことだから、熊の中に芽生えた伝次郎への想いに気付いたに相違なかった。
熊は何も言わずに、ただ祈るような気持ちで康一郎の眼を見つめていた。短い沈黙の末、康一郎が溜め息を零した。そして、堀田伝次郎の住む足軽長屋を教えてくれたのだった。
康一郎はそれ以上何も追及してこようとはしなかったし、熊もまた話さなかった。たとえ胸の内を話したからとて、よもや康一郎が他言するとは思えなかったけれど、万が一にも誰が聞いているとも限らない。
それに、熊が姿を消せば、まず詮議を受けるのは熊の身柄を預かっていた仁科家であることは判っていた。もし信虎から熊のゆく方について訊ねられた時、たとえ信虎に真実を教えなかったとしても、正直な康一郎は顔に出てしまうだろう。康一郎は平然と嘘をつき通せるような質ではない。が、何も知らなければ、応えようにも応えられない。熊が敢えて康一郎に行く先も一切を告げなかったのは、康一郎を引いては靖政を仁科家を守るためでもあったのだ。
人質として甲斐に来てからこれまでの二年間、仁科の家の人々は熊を慈しんでくれた。大恩ある靖政や康一郎を自分の我が儘のために犠牲にすることはできない。
康一郎は熊の無言の想いを理解したのだろう。辛そうな顔で熊を見ているだけであった。
突き当たりの一番右の部屋が伝次郎の家である。熊は康一郎に教えられたとおり、その家の表の障子戸を低く叩いた。
熊は何も言わずに、ただ祈るような気持ちで康一郎の眼を見つめていた。短い沈黙の末、康一郎が溜め息を零した。そして、堀田伝次郎の住む足軽長屋を教えてくれたのだった。
康一郎はそれ以上何も追及してこようとはしなかったし、熊もまた話さなかった。たとえ胸の内を話したからとて、よもや康一郎が他言するとは思えなかったけれど、万が一にも誰が聞いているとも限らない。
それに、熊が姿を消せば、まず詮議を受けるのは熊の身柄を預かっていた仁科家であることは判っていた。もし信虎から熊のゆく方について訊ねられた時、たとえ信虎に真実を教えなかったとしても、正直な康一郎は顔に出てしまうだろう。康一郎は平然と嘘をつき通せるような質ではない。が、何も知らなければ、応えようにも応えられない。熊が敢えて康一郎に行く先も一切を告げなかったのは、康一郎を引いては靖政を仁科家を守るためでもあったのだ。
人質として甲斐に来てからこれまでの二年間、仁科の家の人々は熊を慈しんでくれた。大恩ある靖政や康一郎を自分の我が儘のために犠牲にすることはできない。
康一郎は熊の無言の想いを理解したのだろう。辛そうな顔で熊を見ているだけであった。
突き当たりの一番右の部屋が伝次郎の家である。熊は康一郎に教えられたとおり、その家の表の障子戸を低く叩いた。