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紫陽花(オルテンシア)~檻の中の花嫁~

第4章 光と陽だまりの章

《ChaPterⅡ》
☆♯05 SceneⅤ(AnniverSarY~記念日~)☆

 ガラスの自動ドアがすべるように開き、美月は躊躇うこともなく店の中に入った。振り向けば、透明な扉の向こうには、一面の闇がひろがっている。
 腕時計を見ると、針は既に深夜零時をわずかに回っていた。あのH市の終日山の山頂に建つ温泉旅館で左手首を切って自殺を図った美月は直ちにふもとの町の総合病院に運び込まれた。
 救急車に乗せられたところまでは憶えているのだが、それ以後の記憶は一切ない。次にめざめたのは、既に丸一日が経過してからのことだ。町といっても小さなものだから、当然、病院などの設備も都会のようにはゆかず、美月が入院したその総合病院が唯一、病院らしい病院であった。
 幸運なことに、傷は浅く、縫合することで血は止まった。しかし、思いの外、出血量が著しかったため、医者からは一週間の入院を言い渡されることになった。
 その二日目の夜更け、美月は病室をこっそりと抜け出した。幸いにも大部屋ではなく一人部屋であったので、脱出は難なく成功した。
 美月が部屋を出たのは当直の看護婦が見回りにくる三十分前のことだった。元々、脱走者なぞそうそういるはずもなく、その巡回の看護婦にさえ見とがめられなければ、上手くいくと思った。
 世間体を配慮してか、晃司やその会社の関係者は一切姿を見せず、美月の看護は病院側に委ねられたのも運が良かったと言えよう。もし、監視の眼が光っていたとしたら、こうも易々と抜け出すのは不可能だったはずだ。
 また、晃司の方も負傷した美月がよもやその二日後に一人で逃げ出すとは流石に予想外だったに相違ない。もし用心していたとしたら、あの用意周到な男のことだ、必ず厳重な見張りをつけていただろう。
 要するに、美月は男の油断した隙を突いたわけだ。果たして、抜け出すのは拍子抜けするほどあっさりと成功した。
 それから電車を乗り継いで数時間、美月は漸く住み慣れたK町に帰ってきた。H市は、美月が晃司に連れられていった海のあるE町の更に隣だった。
 あの温泉宿で過ごした三日間は、まさに地獄としか言いようがなかった。晃司から受けた陵辱は、美月の心と身体を深く傷つけた。

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