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紫陽花(オルテンシア)~檻の中の花嫁~

第4章 光と陽だまりの章

「たとえ何があったとしても、美月さんは美月さんじゃないか。少なくとも、俺はそう思ってる。今のままの、昔と変わらない美月さんが好きだから、俺は美月さんにずっと傍にいて欲しい」
「勇一さん―」
 涙が、想いが溢れて、声にならない。
 ただ泣くことしかできない美月の背にそっと手を回し、勇一は優しい声音で囁いた。
「可哀想に、さぞ怖かったろうな。でも、もう大丈夫だ、これからは俺が美月さんを守る。誰にも指一本、触れさせるものか」
 ひと呼吸置いた後、勇一が呟いた。
「大丈夫だよ、美月さんは五年前の俺の知っていた美月さんと全然変わってない。しっかり者のようで、どこか危なっかしくて放っておけない。もっとも、美月さんがこれほど泣き虫だとは俺は知らなかったけど」
「―勇一さんの意地悪」
 美月が泣き笑いの顔で軽く睨むと、温かなぬくもりがほんの一瞬、額に触れ、離れていった。それは鳥の羽根が掠めるほどの、かすかな勇一の唇の感触だった。
 美月の頬がうっすらと赤らむ。
「そうそう、笑顔の可愛いところも、あの頃と変わらない。これでも俺、美月さんが初恋の女だったんだぜ?」
 笑いながら言う勇一に、美月は真顔で首を振った。
「まさか」
「あー、その顔は、俺の言うことを信じてないな」
 ふざけてぶつ真似をする勇一を見て、美月がつい笑った。その顔を見た勇一が破顔する。
「そうそう、やっぱり笑った顔の方が可愛いな」
 そう言ったかと思うと、ふいに強く抱きしめられた。
「サランヘ、ネ ソジュンハン サラム(大好きだよ、俺の大切な人)」
 ハングル語についてあまり知らない美月でも、辛うじて判る。それは、韓国語で〝あなたのことをこよなく愛し、大切にする〟という意味合いがある言葉だ。勇一の祖国の言葉―。
 そのひと言は、一滴の水となり、美月の乾いた心をゆっくりと潤してゆく。
 美月は勇一の腕の温もりに包まれて、幸せの涙を流した。
 満月が母なる女神のごとく、地上のあらゆるものに惜しみない光を降り注いでいる、そんな夜の出来事だった。

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