偉大な父親
第1章 父親をもっと大切にしたかった。
酒屋で働き、解体屋を始め自分と弟を保育園に通わせてくれました。保育園の発表会、運動会には、必ず来てくれてて発表会では、自分と弟の歌、踊り、将来の夢を聴いたり見たりして涙を流したらしいです。運動会では、二人三脚した思い出が有ります。一生懸命にゴールを目指してました。小学生に上がると同時に熊本県菊池郡大津町室1340番地北出口団地に引っ越して来て、当時畑だったところで泥まみれになるまで遊んで帰っては、怒られてましたし、春夏は、問題時間が18時で秋冬は17時でした。1分でも過ぎると泣くまで怒られ家に入れてもらえず弟と外で泣いてたら母が家に入れてくれて父が「さっきは、怒ってごめんな。さっ、一緒御飯食べよう。」って必ず言ってました。けど、毎日繰返しで怒られてました。小学生の頃は、授業参観、運動会は必ず来て一緒に帰って記憶が有りますし、運動会では、「必ず1位取れよ」って言ってました。1位は、必ず取ってましたが、2位なった時は、「1位取れないなら、ビリになれ。中途半端はダメ。」って言われてました。とにかく、負けず嫌いで中途半端な事が大嫌いな父でした。1位になると物凄く喜んで肩車してくれたり、日頃食べれない食事か外食でした。お金持ちでは有りませんでしたけど、父は自分の小遣いを叩いても何かしら祝ってくれてました。誕生日もクリスマスもプレゼントしてくれてました。小学生の頃から喧嘩してましたが、負けて帰ると「勝つまで帰って来るな。遣り返して帰って来い。」。それでも、負けて帰ると「負けるなら、負ける喧嘩はするな。空きを見せるな。先に殺れ。それでも、喧嘩で、1位になれないなら、今度から、勝つ喧嘩じゃなくどうせ喧嘩で、1位になれないなら、負ける喧嘩してケツから1位の喧嘩をしろ。」って言ってました。「その方が男らしくて中途半端じゃないから。」って。確かに今、思うと筋が通って正しいと思いますけど、上には上が居るし、父が言ってたのは、裏をかけば、気持ちだけでも、常に1位で居ろって言いたかったかもしれません?実際、父も、有名だったけど、1位ではなかった筈ですから。足遅かったし。でも、自分と弟は、母のアル中のせいで一年生の頃から虐めに合い中学校2年生になるまで友達は居ませんでした。虐められても喧嘩してましたが、負ける事も有りました。