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新‼経済・世相愚問放談

第6章 最悪‼軍艦島世界遺産登録に「強制労働」施設設置確約

朝鮮人の戦時徴用(1944~45年)

朝鮮総督府鉱工局労務課事務官の田原実は『大陸東洋経済』1943年12月1日号での「座談会 朝鮮労務の決戦寄与力」において、 『従来の工場、鉱山の労務の充足状況を見ると、※1『その九割までが自然流入で、あとの一割弱が斡旋だとか紹介所の紹介によっています。』ところが今日では形勢一変して、募集は困難です。そこで官の力-官斡旋で充足の部面が、非常に殖えています。ところでこの官斡旋の仕方ですが、※2『朝鮮の職業紹介所は各道に一カ所ぐらいしかなく組織も陣容も極めて貧弱ですから、一般行政機関たる府、郡、島を第一線機関として労務者の取りまとめをやっていますが、この取りまとめがひじょうに窮屈なので仕方なく半強制的にやっています。そのため輸送途中に逃げたり、せっかく山に伴われていっても逃走したり、あるいは紛議を起こすなどと、いう例が非常に多くなって困ります。しかし、それかといって徴用も今すぐにはできない事情にありますので、半強制的な供出は今後もなお強化してゆかなければなるまいと思っています。』とのべている

1944年9月、日本政府は国民徴用令による戦時徴用を朝鮮半島でも開始し、1945年3月までの7か月間実施された。1944年9月から始まった朝鮮からの徴用による増加は第二次世界大戦の戦況の悪化もあってそれほど多くは無かったともいわれる。『朝鮮人強制連行論文集成』に記録されている証言では、徴用令には召集令状と同じ重みがあったこと、北海道や樺太、九州の炭鉱に面(村)で500人徴用されたという wikiより抜粋

※の部分が大事ですね

※1ここにも、自然流入で来た人が9割とハッキリ書いて有ります
更に、残りも斡旋や紹介なら、何処も強制徴用では有りません

※2斡旋所が少ないと言う事は、端から朝鮮人(韓国人)に労働奉仕させる気は、日本政府に無かったからでは無いでしょうか?

しかも、当時日本国民でありながら、戦時と言う非常事態に、法律で定められた国民動員法を守らず、逃げるわ反抗するわです・・・

権利は欲しいが責任は果たさない何て、現在でもゆるされる事では有りません

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