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新‼経済・世相愚問放談

第71章 竹島問題

竹島は江戸時代には既に日本人に利用されており(当時の呼称は「松島」)、無主地の竹島は1905年(明治38年)1月の閣議決定で島根県隠岐島司の所管となっている。しかし、第二次世界大戦後の1952年に、韓国の李承晩大統領によって竹島が韓国の支配下にあると一方的に宣言し、武力によりに日本から奪い取っている。李承晩の通告した李承晩ラインは、後の日韓基本条約によって廃止されたにも拘わらず、韓国はその後も不法に軍事占領を続けている。
(wikiより抜粋)


此れが『武力侵略』以外の何物だと言うのでしょうか?

更に李承晩ラインの詳細



戦後、竹島を日本の施政権から外していたマッカーサー・ラインは1952年4月のサンフランシスコ条約発効と共に廃止されるが、その直前の1952年(昭和27年)1月18日、大韓民国大統領 李承晩が、竹島は自国の支配下にあると宣言し、同時にマッカーサーラインの替わりとなる李承晩ラインを設定した。日本政府は同月28日に「公海上の線引きに抗議するとともに、竹島に領土権を主張しているかのように見えるがそのような僭称または要求を認めない」と述べた。この時点では韓国が本当に領土権を主張しているのかどうか不確実であったが、2月12日韓国は反論を提示し、以降、両国間で文書を交換するようになった。李承晩ラインは韓国が一方的に宣言したものであり、日本政府もアメリカもこれを国際法上不当なものと抗議した。1952年7月26日、日米安保条約を結んでいるアメリカ政府と日本政府は竹島をアメリカ軍の訓練地として日本国が提供することを約する協定を締結したが、翌1953年1月12日、韓国は「李承晩ライン」内に出漁した日本漁船の徹底拿捕を指示し、同2月4日には第一大邦丸事件が発生、船長が韓国軍から銃撃を受け死亡した。同4月20日には韓国の独島義勇守備隊が竹島に駐屯して以降韓国警察の警備隊が占拠を続けている。日本政府は当初より韓国側の不法占拠であるとの声明を出して抗議し続けているが、現在もこの領土問題は解決に至っていない。
(wikiより抜粋)


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