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新‼経済・世相愚問放談

第14章 歴史検証:関東大震災「朝鮮人大虐殺」の虚構

ふむ、結構いらっしやった見たいですが、2万人は居ませんな?
まずは、嘘一個目

では、震災当時の在日朝鮮人の行動はどうだったのでしょうか?


9月3日・4日の新聞には
「不逞鮮人各所に放火し帝都に戒厳令を布く」
「鮮人、至る所めったぎりを働く二百名抜刀して集合 警官隊と衝突す」
「三日朝二人づれの鮮人が井戸に猫入らずを投入せんとする現場を警カイ員が発見して直ちに逮捕した」(いずれも「東京日日新聞」)
 などの記事が登場します。
横浜では、朝鮮人およそ二千人が掠奪と強姦をくりかえし、軍隊の出動もままならないので、監獄の囚人を解放して、看守の指揮のもとでこれに対抗して大戦闘になり、朝鮮人百余人をたおした、という証言があります(「河北新報」)
また品川では、横浜方面から鉄砲や日本刀で武装した三百人ほどの朝鮮人が押し寄せて爆弾を投げて暴れ、住民が防戦するうち、第三連隊が出動して鎮圧したが、朝鮮人と間違えられて殺された日本人もかなりいたという証言もありました(「北海タイムス」)

あれまあ!日本人が被害に遭ってますよ皆様!!

これはどうした事でしょうね?

それで、その当時の世相はどうだったのでしょうか?

天皇の御不例が巷間噂されはじめた大正6年(1917年)10月にはロシア革命が成立して、労働運動の波が朝鮮半島をも席捲し、大正デモクラシーの風潮にのって、日本本土でも社会主義・共産主義が勢いを得ました。
ロシア革命の成功からコミンテルン創立への一連の趨勢が民族主義と一つになって発火したのが大正8年(1919年)3月、韓国における「三・一独立運動」です。暴動は鎮圧されましたが、同年9月12日、テロリストによる総督府爆弾投擲事件が発生。犯行は組織的テロ集団「義烈団ウイヨルダン」の金益相(キムイクサン)によるものとわかり、金は上海で逮捕されました。
独立運動の中心人物たちは上海へいったん上陸し、満洲の間島(現・中国吉林省東部、ロシア、北朝鮮に向かい合う一帯)であらためて武装闘争の準備をはじめます。
別の一群は日本を運動拠点に定め、密入国して朝鮮独立と社会主義運動の拡大を目指しました。以来、日本における朝鮮人の犯罪が新聞に載らない日はないと言っていいくらい、活動資金調達のための現金強奪事件、首相官邸の爆破襲撃未遂事件などが多発します。


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