テキストサイズ

新‼経済・世相愚問放談

第20章 中国の支那事変当時のアメリカでの反日

まず大事な事なので最初に書きますが、支那事変(日中戦争)当時中国は国民党軍と共産党軍が争う内線状態に有り、上海疎開や満州(日清戦争時に日本に割譲、後満州国として独立)の治安維持の為に日本軍は駐留しておりました、勿論中国や列強の承認の元です、決して侵略目的での進駐では有りません

上海疎開にはイギリス軍やドイツ軍等も駐留しておりました

大変基本的かつ戦後自虐史観に於て意図的に隠された事実で有り、左翼が殊更に強調する侵略目的の進駐の嘘を暴く史実ですので是非記憶に留めて置いて下さい

それを踏まえて、以下中国共産党や国民党のアメリカに於て行われた反日活動と現在の韓国・中国によるアメリカでの反日活動の関係性を論じて行きます

当時内戦状態に有った中国が、自らの自国民虐殺や人民や世界各国からの国民党軍・共産党軍批判をかわす目的で、日本軍を悪者に仕立てる計画が持ち上がりました

国民党軍と共産党軍の協同作戦『国共合作』ですが、発案者は諸説有り、アメリカによる中国利権を狙った国民党軍への発案説 、ソ連による共産党軍への発案説、毛沢東による発案説色々有って事実は分かりません

しかし、日本軍を悪者にして批判をかわす目的は事実有りました

そしてこの事件が発生しました

済南事件(さいなんじけん)は1928年(昭和3)5月3日、中国山東省の済南における、国民革命軍の一部による日本人襲撃事件、および日本の権益と日本人居留民を保護するために派遣された日本軍(第二次山東出兵)と、北伐中であった蒋介石率いる国民革命軍(南軍)との間に起きた武力衝突事件。藤田栄介青島総領事は、南軍による組織的に計画された衝突と述べている。

事件の中で、日本人居留民12名が殺害され、日本側の「膺懲」気運が高まった。一方、日本軍により旧山東交渉公署の蔡特派交渉員以下16名が殺害されたが、中国側はこれを重く見て、日本軍の「無抵抗の外交官殺害」を強く非難した。さらにこれを機に、日本軍は増派(第三次山東出兵)を決定した。

ストーリーメニュー

TOPTOPへ