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彩夏 ~君がいたから、あの夏は輝いていた~

第1章 友達でいたいのに

何も言わずかばんを持って教室を出ていった
甲斐を、思わず追いかけようとすると、渡辺くんに腕をつかまれた。

「ほっとけ」
「…だから、何で渡辺くんは…!」
「わかるんだよ」

渡辺くんが少し離れた席に座った。

「あいつの父さん、知ってる?」
「…野球、やってたんだよね」
「市高のキャッチャーだったんだ、昔。病気して、もう長い間入院してんだ」

入院している話は、知らなかった。

「だから、どうしてもキャッチャーで甲子園行きたいんだよ、広明は。春からキャッチャーに戻れるように、いま必死なんだ」

そうか。甲子園に行くだけじゃ、ダメなんだ。
お父さんの見た夢も、甲斐は背負ってるんだ。

「あいつ、ああ見えて完璧主義だから。許せないんだよ。自分のミス」

完璧主義。
思い出した。中学の体育祭で、ブロックの応援団長になった甲斐に、みんなの声が揃わないと言って毎日遅くまで練習させられた。ぶつぶつ文句を言われながら、それでもひとりひとりに声を出させた。最後にはみんなが優勝を狙っていた。

「あいつ、春の選抜、絶対行きたいんだろうな。…ていうか、みんなが思ってるけど」
「ねえ、渡辺くんは、何で?なんで甲子園目指してるの?」
「…広明が行こうって言ったから。『そんな球投げられて、この街に住んで、甲子園行かないなんてもったいない』って、あいつ笑ったんだよ」

そう言って自分の頭を抱えこんだ。

「おれ、あの時何も楽しいことなくてさ。10歳のくせに、生きることに絶望してた。笑うこと、忘れてたんだ」

10歳の渡辺くんが出会った、10歳の甲斐。
私の知らない、ふたり。

「だから広明の夢はかなえてやりたい。二人で甲子園に行く夢はかなえたい。できればバッテリーで、あそこ、行きたい。おれだって、悔しかったよ。昨日、おれが出てたら、思いっきり打ったのに。広明のエラーくらい、なかったことにしてやったのに」

渡辺くんは南の方角を向いて、同じなんだ、と言った。
鋭い目は、いつも本当のことしか語らない。
一点の曇りも一言の淀みもなく、ただ、真実と向き合って自分に正直でいる渡辺くんを表している。
その目が、誰かに似ているのか、見覚えがあるのか、私は思い出すことができなかった。

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