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素晴らしき世界

第31章 向かい合わせ

玄関のドアを開けると、
いつもの様に暗闇が俺を出迎える。

ケーキを摘んでベタッとした手を洗うと、
リビングの照明をつけた。

そして迷うことなく向かった、
重要な書類や手紙を保管する引き出し。

そこを開けると、入れたままの状態で
半分に折られている白い紙。

ゆっくりとその紙に手を伸ばした。

そしてペン立てにあるボールペンを持つと
テーブルに座る。

半分に折られた紙を開くと、
『櫻井雅紀』と書かれた文字が目に入る。

その名前を書くたびに……

その名前を呼ばれるたびに……

『結婚したんだね』って嬉しそうに笑ってた。


でもその名前を手放す事を決めた雅紀。


大きく深呼吸すると
俺は空白の部分にペン先を置いた。


俺たちの始まりを誓うものと
俺たちの別れを告げるもの。


正反対のものなのに
同じ場所に同じことを書いている。


最初の時は、
名前を書くという程度にしか考えてなかった。


でも今はここに名前を書くという事が、
どういう事なのか痛いくらいにわかる。


久しぶりに並んだ俺たち。

そこには本人はいなくて名前だけ。

そしてそれはもう並ぶことは無い。


雅紀は……『相葉雅紀』に戻るんだ。


だけど最後だけ……

いや、最後くらいはちゃんと雅紀に向き合いたい。


ガチャ…


寝室のドアが開く音。

雅紀は俺の視線から逃げるように顔を背け、
冷蔵庫に向かって歩いてく。

扉を開けてペットボドルを取ると、
寝室に向かって歩き出したけど……

その足がピタッと止まる。

「それ……書いてくれたんだ」

抑揚のない雅紀の声。

そして視線の先には書き終わった離婚届。

「明日、出しておくから置いといて」



これが最後のチャンス。

……もう、逃げない。



「話が…したい」

立ち上がって雅紀の腕を掴む。

そいてずっと合わそうとしなかった
雅紀の目をジッと見つめて伝えた。

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