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逢いたいから~恋とも呼べない恋の話~

第3章 雨降りの向こう側には

 翌日の昼過ぎ、萌は例の写真館の前に佇んでいた。その日は朝から生憎の曇り空だった。鈍色の雲が低く空をいっぱいに覆っている。
 今にも泣き出しそうな空を見ていると、こちらの心まで憂鬱になってくる。灰色に塗り込められた風景の中で、写真館は相変わらずひっそりと建っていた。緑のアイビーが眼に滲みる。ここ二、三日は雨が降っていなかったせいか、舗道傍の紫陽花は元気がなく萎れていた。
 自分がどれだけ愚かなことをしているか、萌には判っている。夫や子どもを心配させながら、祐一郎のことしか考えられない自分。
 そんな自分はきっと妻としても、母としても失格だ。しかも、祐一郎には妻もいて、彼自身は萌がこれほどまでに彼に惹かれていることすら知らない。
 まるで萌の一人芝居だ。それでも、行かずにはいられなかった。せめて、もう一度、あの写真館に行って、あのひとの声を聞き、顔を見てみたい。写真館に行く理由など考えるゆとりもなく、ただただ彼に逢いたい一心だけに突き動かされるように写真館に行ったのだ。
 童話に出てくるような煉瓦造りの建物をひとしきり眺めた後、曇りガラスのドアを思い切って押す。
 ここで祐一郎に写真を撮って貰ったのは、ほんの十日ほど前のことなのに、まるで一年、いや数年も経ったような気がする。
 すべてが懐かしいような、愛おしいような気がして、萌はその感情の本流に押し流されそうになる。
 入り口付近のカウンターには、六十半ばほどの男性がいた。萌も何度か見かけたことのあるこの写真館のオーナーである。こうして間近でつくづくと見たのは初めてだが、やはり伯父と甥という間柄か、心なしか眼許辺りが祐一郎に似ているような気がしないでもなかった。
「済みません、田所祐一郎さんは、こちらにいらっしゃいますか?」
 脚を踏み入れるには踏み入れたものの、切り出すには勇気を要した。もし、怪訝な表情でもされたらと考えただけで、このまま回れ右して引き返してしまいたい衝動に駆られる。
 だが、ここまで来てしまったのだ。今更、後戻りなどできるはずがない。
 小柄なオーナーが眼鏡越しに、萌をしげしげと見た。

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