ビタミン剤
第1章 ビタミン
「………はああ。」
その日はなんだか朝からついてないって
感じてた。
携帯のアラームの時間を間違えてセット
してあったこと。お気に入りのシャツに
シミができてて着れなかったこと。
タクシーに乗ってから、
ことごとく赤信号にひっかかって
危うく遅刻するところだったこと。
インタビュー撮影前の楽屋の衣装の
サイズが小さめで、自前のパンツを
履かなくてはいけなかったり。
弁当で1番最後までとっておいた、
メインのオカズを箸先から転げ落と
して台無しにしたこと。
どれも一つ一つはたわいもない出来事。
けどさ、積み重ねるとなんだか
気持ちがへこみ気味になっていた。
「………はああ」
「…クっハハハ。」
午後の収録前の楽屋にはいつも通りに
一番乗りで、念入りに台本に目を通して
おく。
ついつい思わず洩れでた溜め息の
大きさに我ながら苦笑してしまう。
ガチャリ
静かにドアノブを回す音。
長い付き合いのおかげでこの音で大抵
メンバーの誰だかわかるようになってた。
きっとこの音は、智くん。
「だぁーれだ?」
本当に可愛い人なの。
毎回この仕草するんだもん。
誰だかわかってても
これが智くんの挨拶代わりみたいなもの。
俺ら2人の中では日課になってたりするので
いつも、わざと扉には背を向けて座って
おくことを俺も心掛けていたりする。
「んーと誰かな?智くん⁇」
「ピンポーン!正確でーす。
さすが翔ちゃん。」
長くてキレイな指が顔からふわりと
離れてまるで幼子にするかのように
ゆっくりと俺の髪を撫でてくれる。
「あれ?智くん。
なんか、いつもと違うくない?」
鼻腔をくすぐる香りがいつもの
智くんのやわらかな甘い香りではなく
今日はなぜか爽やかな柑橘系。
「ハンドクリーム変えた?」
智くんの長い指先を捉えて、
鼻先までもってきて確認すると、
さらにさわやかさが鼻腔の中を
くすぐってきた。