テキストサイズ

君が桜のころ

第2章 花影のひと

礼人は改めて綾佳の美しさに見惚れていた。
…艶やかな絹糸のような黒髪、眉は優しい三日月の形をしていて、睫毛は濃く長く、夢見る人形のように反り返っている。
その下に輝くのは黒曜石の如く高貴に煌めく瞳だ。
すんなりと形の良い鼻筋、唇は濃い桜色…。
肌はきめ細かく、透き通るように白い…。
綾子さん以上に…美しい…!

「…綾子さんは急な病いでお亡くなりになったとお聞きしました」
綾佳の瞳が不意に翳る。
「…はい…肺炎をこじらせて…本当に急でした」
「さぞや、お悲しみだったことでしょう。綾佳さんはその頃まだ14歳だ」
「…はい…私は母が全てでした。…だから母が亡くなったら…もう生きている甲斐はないと絶望しました…死にたかった…本当に…」
母の死を思い出したのか、綾佳の美しい瞳からふいに透明な涙が一粒溢れ落ちた。
「綾佳さん…泣かないでください」
思わず、礼人は綾佳の白磁のように滑らかな頬を伝う涙を指で掬い取る。
驚いた綾佳と目が合う。
「…すみません。思わず…」
「…いいえ…」
不思議な事に、内気で初対面の人と二人きりで接することなど大の苦手な筈の綾佳なのに、礼人に触れられても嫌ではなかった。
「…不思議ですわ…」
「…?」
「…私、清賀様とこうしていても嫌な気持ちがしないのです。…むしろ…なんだか懐かしいような…不思議な気持ちがするのです…」
礼人の整った瞳が見開かれる。
そして、止むに止まれぬ情動のようなものに突き動かされたかのように、その手を伸ばし綾佳のほっそりとした小さな手を握りしめた。
「綾佳さん…私は…私は…!」
しかし、苦しげに首を振りそっと綾佳の手を離す。
「…いや、何でもありません。失礼いたしました。
私のことをそんな風に思ってくださり、嬉しいです。
…お話の続きを伺ってもよろしいですか?
綾子さんが亡くなり、綾佳さんはお屋敷に閉じこもってしまわれたとお伺いしましたが…」
綾佳の美しい顔に愁いが浮かぶ。
「…はい、もうどこにも行きたくないし、誰にも会いたくなかったのです…。この春までずっと離れに閉じこもっておりました」
「…お兄様は…慎一郎さんは、綾佳さんのお話を聞いて下さいましたか?」
先程の様子だと、随分慎一郎は綾佳に対して厳しく冷たい態度を取っていたからだ。
可憐で儚げな綾佳になぜあんな冷たい態度を取るのか、礼人には理解できなかった。

ストーリーメニュー

TOPTOPへ