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貞勧

第1章 貞勧

お吉が旅立って2日目に宝福寺の和尚が亡骸を見つけ、寺に引き取ることにした。

辛かったであろう、冷たかったであろう。

和尚は寺男たちに頼み、約3㌔先にある宝福寺まで亡骸を運び懇ろに弔ってあげた。

和尚はお吉に釈貞歓尼という法名を送った。貞歓はじょうかんと読み、まことのよろこびという意味である。時代の迷子となったお吉がさまよい探し求めたものである。

唐人を供養したとして宝福寺は街の人たちの反感を買うことになるが、それにもめげすに和尚は布教活動に専念した。

お吉が亡くなった明治24年はあの伊佐の没年でもあった。何か因縁めいたものがあるのだろうか。

間もなく日本は布告強兵を掲げて軍事国歌となっていく。軍部はお吉の物語を国辱と勘違いして、お吉は開国に反対する人々が生み出した空想の物語だとして埋めてしまった。

たった一人のおなごに憎しみのすべてをぶつけてやがて死に追いやってしまった罪から逃れるのにはちょうどよかったので、街の人々もお吉は空想の中での物語だったとして忘れていった。

ところが、新渡戸博士のようにお吉の物語を実在のものとして、お吉に対して人々が行った差別やイジメを重く受け止めるためにも風化させてはならないという人が現れた。

新渡戸博士はお吉が身を投げた場所にお吉地蔵尊を祀り、この場所はお吉が淵と呼ばれるようになった。

また、お吉の命日である3月27日にはお吉供養祭が行われるのも下田の習わしとなり現在まで続いている。

から竹の浮名の下に枯れ果てし君の心は大和撫子

お吉を思って新渡戸博士が詠んだこの歌がお吉の美しくも哀しい人生をよく現している。

辛い目に遭いながらもお吉はなぜ下田にい続けたのだろう?

美しい海、街を愛していたから。
いや、優しかった鶴松との想い出、ハリスとの想い出があれば辛い世界でも十分に幸せだったのだろうか・・

お吉はまだ下田の街にいる。
今も想い出の風に吹かれて下田の美しい海を見守っているのだろう。


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