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じゃん・けん・ぽん!!

第3章 面倒くさい頼みごと

 健人は腕を組んだ。今朝方、この女の子が相当に苦労していたことは事実だ。それを思うと買い換えの必要も考えられるかもしれない。でも――。
「それなら、下駄箱を換えるまでしなくったって、扉だけ直してもらえばいいんじゃないか」
「いえ、できれば、下駄箱を全部」
 言ってから、女の子はぎゅっと唇を噛み締めた。言いながらも、それが無理のある願いだと自覚しているのだろう。
「全部って、なんで」
「理由は、ちょっと話せないんですけど」
「理由がないんじゃ――」
 言いかけて、健人は言葉を止めた。女の子の頬が、紅潮していたからだ。ほんのりと桃色に染まったその頬は、柔らかそうな丸みを帯びていて、まるで熟れた桃のようだった。
「お願いします」
 女の子は、勢いよく頭をさげた。腰の曲がり方が鋭角だ。理由は言えないが、何やら思いがあるらしい。
 いつまでも頭を下げられていたのでは周囲の視線が気になるし、気分も落ち着かないので、とりあえず、
「考えてみるよ」
 と健人は答えた。
「ありがとうございます」
 と女の子は頭をあげた。さっきはきつく噛み締められていた口許が、今は緩んでいる。蕾のように小さなその唇の両端が心持ち上がっていて、さらにその両脇に小さな窪みができていた。目は、度の強い眼鏡と前髪のせいで相変わらず見ることができないが、察するに目元にも笑みが浮かんでいるに違いない。
「名前だけ、教えてもらっていいかな」
「伊藤詩織です」
 と女の子は名乗った。
「それでは、よろしくお願いします」
 女の子――伊藤詩織――は、胸に教科書を抱いたまま、再度軽く頭を下げると、小刻みな駆け足で自分の席へ戻って行った。
 ――下駄箱の買い替えか。
 健人がいくら級長だからといって、ひとりで学校に掛け合っても取り合ってはもらえないだろう。だから有効な手段としては、生徒会を通して学校側に要望を出すという形が考えられるが――。
 ――面倒くさいなあ。
 と健人は思った。思ってすぐに、さっき詩織が見せた、紅潮した頬と僅かな笑みを思い出した。

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