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a faint

第3章 N-02


N’s eye

銀製の菓子切を大野さんが集めているのは知ったのは いつだろう。

作業場を出て直ぐ奥へと続く長い廊下。

その行った先を曲がった向こうに 茶室かと見紛うほどの小さな畳敷きの部屋がある。

そのこじんまりとした質素な小部屋が大野さんの自室。

その狭く埃っぽい部屋は 親父の言うコトを聞かない時によく放り込まれていて 子供心におっかない場所でしかなかった。

そんな俺的曰くの付いた部屋は 正面に明り障子を入れた出文机(いだしふづくえ)と 布団を敷けば畳表が見えなくなってしまう狭小さ。

そんな手狭さが却って良いのだと微笑い

「性に合うんだ…」

目を細めた大野さんが

”……住めば都さ”

呟いたのは いつの日だったのか。

その小部屋に大野さんが住み込み始めて もうどれくらい経ったんだろう。

まだ小学、いや 中学には上がってたか…俺が十代前半 向こうは二十歳に満たない頃に 初めましてをしたのは確かだとは思う。

どんな経緯があって 家(うち)に来たのか その当時はよく分からなかった諸事情も 歳を重ねれば 次第に色々と知れてくる。

複雑な家庭環境と人間関係、そこから生じた様々な軋轢。

「有り勝ちな話と云えばそうなんだろうけどな……」

見習いの岡田さんと台所で酒を酌み交わしながら ボソボソと話するのが漏れてきて 大野さんより年下の俺がおいそれと耳にしてはいけない内情に 知らぬ顔を決め込んだのは高校受験の前だったはず。

そうやって 徐々に彼を分かっていく中で知れてきたキーワードに『菓子切り』と『相葉雅紀』があった。

「仕事の一環だよ」

そう言いながら文机に広げられた天鵞絨(ベルベット)の小布の上に 一つ一つ丁寧に並べられていく菓子切り。

持ち手の先に 季節の花々が 繊細に細工されている。

水仙に梅、桜、朝顔……月毎に違う花が刻まれたその内の一本を指さし

「……これが六月」

俺が生まれた月のそれには花菖蒲が刻まれていた。

”これは?”

指さした先をさり気無く手で阻まれた…まるで ”触れるな”と云うように。

右端に寄せられた一本に刻まれた花は胡蝶蘭。

左から数えて12番目、多分 相葉さんは誕生月が12月だったはず。

そして

『変わらぬ愛』

それが胡蝶蘭の花言葉。

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