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あさいらむーんのひとりごと

第46章 おかげさまで、

「SF映画のような音楽を」その2


BLIND GURDIANを聴き始めたのは2ndアルバムが発売された頃
当時はまだ東西に分かれていてCDにもWEST GERMANYて書かれていました

まだ日本盤も発売されてなかったから電車に乗って大都会の中の怪しげな雑居ビルの2階にある輸入盤を売るマニアックな専門店で買った

いや、正確には一緒に行った同級生が買ったのを借りてダビングして聴いていた


確かその時、ボクは別のバンドの輸入盤を買った
RAINBOWのリッチー・ブラックモアの息子ユルゲン・ブラックモアが参加したIRON ANGELの当時の新作2ndアルバムを買ったんだった


そのバンドはそのまま空中分解したけど、BLIND GURDIANは当時雑誌にもよく紹介されていた

なぜ日本盤も出ていない西ドイツの若者のバンドが紹介されていたのかと言うと、そのアルバムにはスペシャルゲストが参加していたからだ


それは当時、HELLOWEENを脱退したばかりのカイ・ハンセンが参加したアルバムとして有名だったのだ

HELLOWEENは日本盤も出ていて、日本ツアーもしていた当時の人気の若手バンド

その人気絶頂で2回目の日本ツアー直前にバンドを脱退した

HELLOWEENはカイ・ハンセンが作ったバンドでもあったので当時は凄いニュースだった

そのカイ・ハンセンが新人バンドに近い彼らのアルバムにゲスト参加したのだから雑誌にも取り上げられ日本盤が出る前から有名だったのだ


カイ・ハンセン脱退直後、日本では次のハロウィンを売り込もうと西ドイツの新人バンドが次々と日本盤を発売していった


クローミンクローズ、STS8ミッション、スキャナーといった若手からレイジ、ランニングワイルド、ヘヴンズ・ゲイトといったベテラン勢まで当時は「西ドイツ祭り」だった


そんなときに、かのブラインド・ガーディアンの3枚目が満を持して日本盤を発売した


またしてもカイ・ハンセンがゲスト参加
しかもボーカルも取っていて、昔のハロウィンの声が聴けるアルバムとなってファンがめちゃくちゃ喜ぶようなアルバムとなっていた


バンドはその後4枚目のアルバムを出して、初の日本ツアー

たしか初日は大阪公演でボクも友人3人で見に行った!


厚生年金大ホールだったっけ?
フェスティバルホールだったっけ?

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