テキストサイズ

小説以外のひとりごと

第50章 2024年10月

「ヴェスパーという映画」

ゲオで準新作を借りた

パッケージはコリゴリのSFパニックアクションものぽかった

なんとなくパッケージから伝わってくるイメージでは、宇宙人の兵器が地球を襲ってくる、みたいに思える

トムさんの「宇宙戦争」みたいに


で、試聴すると

なかなか最初から説明もないまま、特殊な世界観


SFダークファンタジーだな


ナウシカ、約束のネバーランド、進撃の巨人、

そんなイメージ


未来世界、暗黒世界、閉鎖社会、上流社会と下流社会


なんとなくどこかで見たような漫画やアニメのような雰囲気


つまり、すこし退屈


SF映画はSF映画の表現をしないと退屈だ

知的好奇心をくすぐって欲しいのに、妙にザラザラするシーンが続くのは、説明が無いからだ


視聴後、振り返ればボクの書くような雰囲気のように思えた

設定があるこだけれど、そこはあまり説明しない


会話劇はあるけど、登場人物が何をしたがっているのかわかりにくい

まるでボクの小説だな、と鏡を見せつけられているような気がした


エンディングも外の世界へ旅立つような雰囲気を醸し出して終了

何かが変わった、という事でも無い


ハリウッド映画ではないからクリエーターたちが自分たちの好きなことをやっているように思えました

ある意味、マスターベーション


ハリウッドって製作中に出資する人たちから修正をたくさんされる
映画を作らない人たちが意見をするわけだ

で、結局どれも似たようなパターン

似たような構成

似たようなキャラクターが出てくる

メインで女性キャラが出てきたら
「あ、生き残るのはこの人だな」
て先の展開が読めてしまう

アジア系、アフリカ系が出てくることも増えたし、悪人にはならなくなった

その分メリハリが無くなってくる

だって各方面に気を使いすぎて、いい人ばかり出てくるんだから


どれも似たような、ポジションになってくる


インディペンデントな小さな会社が作れば、そう言った外野の声が少ないのだろうな

その代わり、わかりやすさは減っている

これは良し悪し、かもしれない


結果的に「悪くは無かったけど、退屈な作品」
という印象でした

なんせ日本人はアメリカの影響を受けすぎてるもので!
自分の枠組みがハリウッド基準
枠からはみ出ると違和感がある
感受性落ちた

ストーリーメニュー

TOPTOPへ