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幸せな報復

第18章 沢子

「お嬢さまをお預かりしますから羽織ってくださいませ…… 幸い、暗い夜道なのでその格好でもなんとかごまかせるでしょう、とにかく、わたしのうちにひとまず隠れてください。わたしは小椋家にとって木っ端の下男ゆえ、海星さまの頭数にも入っておりません。沢子さまにお食事を運ぶお仕事をしておりましたが、それだけの役目でございます。海星さまがわたしを疑い家を捜索されることはまずありえません。それにこれから向かうお屋敷はさすがに海星さまも強引に捜索はできない政財界に顔のきく方です」
 沢子は幽閉されて2年余、この男は海星以外では唯一見る男だった。朝、昼、晩の3回、食事を牢屋の前に運んでくる。沢子とこの男はそれだけのつながりであるが、沢子には毎日の食事は命をつなぐことだ。その男が偶然にもこんな時間、ここにいたのは運がいいとしか思えなかった。冷静な沢子であれば疑問を抱いたであろうが、今の沢子は男の提案に従って後に付いていくしか考えられなかった。沢子は素性の知れない男に身を任せることに抵抗を感じたが、海星よりひどい鬼畜はいないであろう、と直感した。自分が牢屋に閉じ込められていたことを知っているこの男は、沢子が屋敷を飛び出してきたのなら逃げ出したと思って当然だろう。男は海星を呼ばなかったのだから味方と思っていい。彼女にはこの男に娘と自分の運命を託すことにした。
「わたしはこれから向かうお屋敷に間借りさせて頂いております。もちろん、わたしが離れをお借りしている身なので偉そうなことは申せませんが、奥さまは心の優しい方ですから沢子さまの力になってくださるはずです。詳しい話は後ほど…… とにかく、この場から早く離れましょう。長いことあのような狭い座敷牢に入れられていたのですから沢子さまは走れますか。こらから15分ほどの距離まで走りますが、ゆっくりあわてず参りましょう」
「お気づかいありがとう。座敷牢に入れられながらこういう日のために自分なりに体を鍛えてきたつもりです。とにかく、走ります。この子のためにも、この子の未来を作るためにも走ります」

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