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どこまでも玩具

第9章 質された前科

「愛してるよ、哲」

 視界が定まらない。
 立っている地面さえ、確かじゃない。
 纏わりつく寒気と、静けさ。
「あ……」
 足を後ろに引く。
 何度も聞いた呪縛を払うように。
「愛してる」
 瞳孔が開く。
「なのに、どうして……」
 影が近づく。
「逃げたりしたんだ?」
 その手に捕まえられれば、二度と帰れなくなってしまう。
 中学がまともに行けなかったように。
 休日はベッドに括り付けられたように。
「と……うさ」
「怒ったりしないよ。哲がしたことには。だから、一緒に帰るぞ」
 タタタッとよろめく。
 父親の影が自分に重なる。
 倒れそうな体を支えられていた。
 あの腕が。
 あの手が。
「……っ離せよ!」
「哲……」
 そんなに失望した顔をするな。
「覚えてるんだろ? あんたの息子はっ、殺したい程父親を憎んでるんだよっ!」
 なんでだ。
 言葉が空気に溶ける。
 全然響いてない。
 依然手の中にいる。
 耳に口づけされる。
「ひっ」
 全身が鳥肌立つ。
「あぁ、哲。なんて久しぶりなんだろう。こうして近くにいるのは。大丈夫、簡単だよ。また戻ろう。あの日々に」
 叫べ。
 逃げろ。
 体中の警告を聞け。
 動け。
「無駄だよ、哲」
 がくりと力が抜ける。
 視界が狭まってゆく。
 息が出来ない。
 意識が遠のいていく。
「だって……誓ったじゃないか」
 車に運ばれる。
 鞄も足元に投げられた。
 ドアが閉まる。
 音を立てて。
 早く、逃げなきゃ。
 帰れなくなる。
 帰れなくなってしまう。
「みぃ……ずき……けい、ご」
 呂律が回らない。
 どうして。
 平和な暮らしを望んだのに。
 少年院で耐えたのも、父親から逃れるためなのに。
 親族とも縁を切った。
 願ったのは一つじゃないか。
「哲も気に入るよ。新しい家」
 あの家には、戻れない。
 友達がいる、あの家に。
 帰りたい。
「心が躍るよ。わかるか、ずっと嬉しくて仕方ないんだ。哲に会えた。また一緒に暮らせる」
 その真逆だよ。
 会いたくなかった。
 二度と暮らしたくなかった。
 目を閉じない抵抗も失われる。


―みぃずきはさ―

―ん?―

―なにが幸せ?―

―…難しいな―

―みぃずきは考え過ぎてるんだ―


―世界はもっと単純で、願ったら叶うんだよ―

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