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左手薬指にkiss

第1章 日常スパイス

 雲が隠していた太陽が待ちきれないように陽光を投げかける昼下がり。
 休日の穏やかな空気の中にコーヒーの湯気が漂う。
 まだ熱いカップを両手で持って呟く。
「春まだこないんですかねー」
 宮内瑞希は隣に座る類沢雅に尋ねるようにくいっと彼を見上げる。
 類沢は物思いに耽っていた頬杖のまま口元を緩めた。
「瑞希は冬より夏が好きそうだよね」
「断然夏ですよ。天気いいですし、俺厚着苦手ですから」
 セーターの袖口に指先まで埋めて不満そうに。
 飲むにはまだ早いカップを持っているのは、その熱で暖をとっているのだろう。
「先生はどっちです?」
「んー。そうだね、冬かな」
「日光嫌いそうですもんね」
「そうでもないよ。昔は肌焼きに海に行ってたくらいだし」
「ええっ!?」
 コンとカップがテーブルに着く。
 突然の大声に類沢が片眉を上げる。
「そんなに驚くこと?」
「だ、だって……色黒の先生なんて想像できないし」
「そう?」
 コーヒーを一口飲んで、類沢は髪を掻き上げる。
 それから意味ありげに瑞希をじっと見つめた。
「なんですか」
「瑞希も肌白いほうだよね」
 そう言って瑞希の片腕を持ち上げ袖を捲る。
 自分の手の甲に比べると仄かに白い腕をなぞる。
 その指先の冷たさに腕に力が入ってしまう。
「冷たいです……」
 逃げようとした腕を離さない細い指。
 少しだけ爪が食い込んでいる。
「先生?」
「……ああ、ごめん。なんでもない」
 ぱっと離した手を見下ろして類沢はため息を吐いた。
 瑞希も言及はしない。
 大学に入ってから類沢はときたまこうして無表情で視線が止まることがあるのだ。
 その理由はわかりそうで掴めない。
 否。
 元々高校時代からこの人は理解という概念の外にいるのだ。
 少し冷めたコーヒーの苦みを味わう。
 鼻を抜けて目頭を掠める刺激ある香り。
 ぴりっと。
 ぴりっとね。
「もうすぐゴールデンウィークだね」
「あっという間ですよね」
「行事はあるの?」
「一日だけ新歓コンパが。あとは暇ですよ」
「学生は暇だよねえ」
 椅子にもたれて吐息交じりに。
「拍子抜けするくらいですよ」
 瑞希も同じ声色で。
 二人は脱力するように微笑みあった。

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