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キセキ

第8章 Vol.8〜ありがとう

父は数日後、一時帰宅できたが、
医師は「最後の帰宅かもしれない」と言っていた

父は帰ってすぐ
母に言った
「一緒に横浜に行ってほしい」

母は今度こそ黙って従った
私もついていった

海の見える公園で
父はゆっくり歩いた
母はその少し後ろを
私はそこからかなり後ろを歩いた

父は母を振り返った
 「付き合ってくれてありがとう
  とても嬉しかった」
父は笑っていた

その後、父はまた入院して
そのまま、家に帰ることはできなかった

父の最期の振る舞いを
母がどう捉えたかわからない
母がそのことにはめったに触れなかったからだ

母は気づいているかわからないけど、
父は母に「ありがとう」と言うために
あんなことをしたのだと思う

私のためにではなく
他の誰のためにでもなく
もちろん自分のためにでもなく
余命を母にありがとうと言うために使ったのだ

なんでそんなことをしたのか、までは
よくわからなかったけれど
一度だけ母が父の位牌に向かって
手を合わせている横顔を見たとき

私には、なんとなくわかった
父は
 本当にキセキを起こしたのだと

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