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『春がすみ(春霞)』

第1章 春がすみ…

 3

「お待ちどうさま」
 急ぎお茶を買い、戻る。

「あっ」
「ね、義姉さん、な、なんで……」
 千秋さんが寝室の、半開きのドアの前に呆然と立ち尽くしていた…

「え、な、なんで…」
 俺は、一気に焦燥感に陥り、言い澱む。

「か、一也くん、ち、違うの…」

「………」
 部屋のドア前の千秋さんの後ろから、ベッドが丸見えだった。

「あ、あのね…
 と、トイレに行こうとしたらね…
 ドアが少し開いてたからね……
 つ、つい………ね………」

「…………」
 その覗けるベッドの上には…

「あ、い、いや、べ、別に、の、覗こうとした…つ、つもり……なくて………」
 千秋さんの額には、汗が、冷や汗が浮かんで見える。

「……………」
 ただ、そのベッドの上には…
 亡き妻の遺した…
 下着や…
 ストッキングや…
 スカート等々が、無造作に放ってあり…
 そしてベッド脇のゴミ箱には、使い捨てたティッシュが…
 山のように溢れ、こぼれ、散らかり…
 それは一見して…
 夜毎、亡き妻を偲び、一人悪戯の慰みの残滓の様相。

「…………」
 俺は、激しい羞恥心と、強い焦燥感に覆われた視線を、千秋さんに向けた。

 だが…
「…あ……いや………」
 揺らぎながらも、見返してくる千秋さんの視線からは…
「か、一也…くん………」
 千秋さんの目からは、蔑みではなく…
 慈愛の想いが伝わってきたのだ。

「そ、そうかぁ………そうよねぇ……」
 千秋さんは、振り絞るように声音を震わせ…
「え…」
 目を潤わせ…
「あ…」
 いや、一筋の涙を溢し…

「そ、そうよね、そうだよね…
 そんなすぐにはさぁ…
 忘れれられるはずが…ないわよねぇ……」
 大粒の涙を溢れさせ、そう囁いた。

「あ、あぁ……み、美春………ぁ…………」
 俺はつい、名前を…

「そ、そうよね…わたしらは、そっくりだから…」
 すると、千秋さんはそう呟き、目を閉じる。

「あ、ああっ……
 み、みは、い、いや、ち、千秋さんっ……」
 無意識の衝動であった…
 そう叫び、千秋さんを抱きしめる。
 
「い、いいわよ…
 忘れさせて………あげる……わ……」
 耳元で、そう囁いてきた。

『春霞 まだそこにゐるやうな人…』
 見えるはずのものを揺らがせ…
 心を惑わせ…
 目の前にいる人だけが全てに魅える…

 

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