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淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第2章 ひとりぼっちの猫

 自分が今いる場所が奈落の底に繋がっているように真っ暗に思えてならなかった―それほどまでに絶望していた。
「チ、春泉?」
 千福の慌て様ったいったら、滑稽なほどであった。
「お、お前、一体、どうしてここに」
 狼狽えぶりを隠す余裕もない父に、春泉は努めて何げないふりを装った。
「お父さまが今日、お帰りになるなんて、ちっとも知らなかったわ」
 明るく言い、今度は留花の方に声をかけた。
「留花、雪が烈しくなる前に、さっさとお帰りなさい」
「はい、お嬢さま」
 〝ありがとうございます〟、逃げるように表門を出てゆく留花が去り際、頭を下げて聞き取れないほどの声で呟いた。
 留花の姿が見えなくなってから、春泉は父を軽く睨む。
「どういうつもり、お父さま? 今日のことをお母さまがお知りになったら、また、ひと騒動起こるわよ?」
 むろん、春泉には、この一件を母に告げる気などさらさらない。父が母にこっぴどくやられるのは構わないが、好色な父のせいで、留花が仕事を失う―つまり、屋敷への出入りを差し止められてしまっては気の毒だ。
「うぅ、判ったよ。全く、間の悪いところを見られてしまったものだ。もう少しで留花をモノにできるところだったものを」
 まだ未練たらしくぶつぶつと言っている父に辟易しながら、春泉は呆れ顔だ。
「どうも、あれは悋気が烈しくていかん。春泉よ、そなたは嫁して人の妻となっても、母のように無闇に嫉妬してばかりいてはならぬぞ。可愛い悋気であれば、男の方もそんな妻を愛しいと思うが、ああまで凄まじい悋気を見せつけられては、かえって心が遠のくばかりだ」
 何を勝手な理屈ばかりを並べ立てて。
 そう言いたいのを堪え、春泉は母家に行って、母の顔を見てくるという父とはそこで別れた。
 父の言い分は全く身勝手な男の屁理屈そのものだ。女にも心があり、自尊心がある。父のように見境なく好き心丸出しで女の尻ばかりを追いかけ回していては、母が妬心を露わにするのも当たり前だろうと思う。
 春泉は再びだらだらと歩いて、自分の部屋の前まで戻った。

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