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淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第5章 意外な再会

意外な再会

 春泉のやわらかな胸の中で、ニィと小さな啼き声が聞こえた。
「どうしたの? 小虎」
 腕の中にずっと閉じ込められて窮屈だったのか、両腕の隙間から小さな顔がぬっと飛び出してきた。
「少しきつかったかしら」
 仔猫の顔を覗き込むようにして訊ねると、猫はまた返事をするように啼いた。
 地面にやわらかな陽差しが落ちている。
 春の心地良いそよ風が春泉の傍らを優しく通り過ぎてゆく。その拍子に、春泉のひと房だけ頬にかかった髪がかすかに揺れた。
 桜もそろめろ見納めだろう。今日は朝からずっと天気が良いけれど、これで雨でも降ろうものなら、咲き残った桜もすべて散ってしまうに違いない。
 柳邸の庭には様々な四季の草木が植わっていたが、中でもこの季節に見事なのは、こでまりと李(すもも)の花だ。むろん、桜も幾つかはあるのだけれど、春泉は桜の絢爛さよりも、李やこでまりの控えめな愛らしさの方をより好んだ。
 今日は午前中、ずっと自室で刺繍をして過ごした。母から言いつけられた課題を仕上げねばならなかったからだ。
 課題とは言っているが、どうやら、母は春泉が仕上げた刺繍を額に入れ、礼曹判書の奥方に贈るつもりのようだ。仕立屋の留花のように縫い物の才能はないが、春泉は子どもの頃から刺繍だけは得意であった。
 大方、嫡子の嫁候補として春泉を売り込むためだろう。母は両班家の奥方になることが春泉の幸せだと信じ込んでいるようだが、それは全くの間違いだ。
 春泉自身は両班家に嫁ぎたいなどと一度も考えたことはない。家に寄りつこうとしない父、父に内緒で若い愛人を作っては束の間情事に耽る母。険悪な仲の両親を見ていると、結婚が果たして幸せへの道なのかどうか判らなくなる。いや、はっきりいえば、春泉の両親の場合、間違いなく不幸になるために結婚したとしか言いようがない。
 今の二人からは想像もつかないが、両親は周囲の反対を押し切っての熱烈な恋愛結婚だった。互いに誰よりも何よりも必要としていたはずなのに、今はこの体たらくだ。
 ましてや、顔も見たことのない相手に嫁ぐのだとすれば、尚更、夫婦としての情など湧くはずもなかろう。

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