
たまゆらの棘
第1章 幼き日々
父親が死んで家業はたたみ、母親だけになると、倫の母親は夜、勤めるようになった。三十二歳、まだ夜の蝶としてギリギリだった。倫は母親が作った冷たい弁当を食べ、夜は風呂に入り、一人で眠るようになった。半年もしない内に、母親が朝、帰って来ない日々が目立つようになった。ある日、倫は「倫、新しいお父さんになる人よ。」と母親から一人の男を紹介された。(新しい…オトウサン…)お父さんは倫の中で一人だった。そう。亡くなった。倫は思った。母親の満面の笑みを見て、あの号泣はなんだったのか。幼心に何かがぞっとした。大きな車に乗り、綺麗なスーツを着ていても。あまりにも倫の「お父さん」からはかけ離れていた。ふと夕方になると、よれたシャツに油をつけた父親の手を、思い出していた。早々に引っ越しが決まり、倫と母親は男の豪邸に住む事となった。十歳の倫にはよくわからなかったが、貿易の仕事をしていると言っていた。母親は変わった。毎日が記念日のような食事を作るようになり、新しい父は時々、倫を舐めるような目で見やることがしばしばあった。
