テキストサイズ

麗しの蓮の姫~炎のように愛して~【BL】

第5章 天上の苑(その)

 この時、浄蓮の脳裡に咄嗟に浮かんだのは、母に連れられて、たった一度だけ赴いた山寺の風景であった。母方の祖父母の供養に出かけた当時、浄蓮は恐らく、五歳ほどだったと記憶している。母の里は、都からかなり遠い辺鄙な田舎町だった。母は、その地方の使道(サド)(地方長官)の娘だった時分、父の許に嫁いできたのだ。
 母の父―つまり祖父はその地方に縁があったらしく、幾度も使道に任命され、その度に善政をしいて民たちからは慕われたといわれている。母は、そこで生まれ育った。
 その祖父も亡くなってからは、母も滅多と訪れることもなかったのだが、何を思ったか、母が急な供養を思い立ち、まだ幼い浄蓮を連れて地方の山寺に出かけたことがあった。
 都からその町までは子どもにしては結構な長旅で、途中では、生まれて初めて見る海に興奮したりもした。
 今、この蓮池を見ていると、母と共に伏し拝んだ山奥の寺の威容が鮮やかに甦ってくる。極彩色の伽藍や、金色の大きな仏像。尊(たつと)い高僧の朗々とした読経が堂内に響き渡り、線香の煙が細く長く立ち上ってゆく。時折、高らかに鳴る鐘の音。その音に聞き入りながら、傍らで母は手に数珠をかけ、立ち上がってはひれ伏し祈りを捧げ、延々と同じ所作を繰り返していた。幼い自分はいかにも物珍しげに堂内を眺め回しては、母に眼顔でたしなめられたものだ。
 この蓮池はあの山寺周辺の風景とは全く別のものであるに拘わらず―そもそも、山寺の近辺には蓮池など存在しなかった―、浄蓮の瞼には幼い日、母と見た山間の寺の様子がありありと浮かんでいた。風景そのものが同じというよりは、この眺めとあの山寺全体に漂う独特の静謐さが何かしらあい通ずるように思えてならなかった。
「まさに、天上の楽園ですね。単に眼に美しいだけでなく、心まで洗われるような気がします」
 浄蓮が呟いた時、準基が頷いた。

ストーリーメニュー

TOPTOPへ