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天空(そら)に咲く花~あのひとに届くまで~

第8章 哀しい別離

 初めは数匹いた金魚は、次々に死んでしまって、最後まで残ったのがこの親子の金魚だったのだ。八重が金魚鉢の底に白い砂を敷きつめ、水草を入れてやると、清冶郞は殊の外歓んだ。ついでに金魚鉢の回りにも砂を敷いて、白い貝殻を散らすと、たまに訪れる嘉亨が〝なかなか風流だな〟と眼を止めたこともある。 
 清冶郞にとっては生まれて初めての外出であり、また、生涯で最後の江戸市中見物ともなった。あれが最初で最後になるのなら、せめてもう少し清冶郞の思うように過ごさせてやるのだった―と、今更振り返っても意味のないことばかりを考え、泣けてくる。
 あの時、走り出した清冶郞を止めようとした八重を嘉亨は眼顔で止めた。
―今だけは、あの子の好きにさせてやってくれぬか。
 父親であればこそ、今度はいつ屋敷の外に出られるか判らぬ我が子の心中を思いやったのだろう。はきとは自覚してはおらずとも、息子の生命の焔がいつ消えるか判らぬという不安にはいつも脅かされていたはずだ。
 この部屋にいると、想い出が一挙に押し寄せてきて、八重は息苦しくなりそうだ。
 八重は小さな招き猫を握りしめ、号泣した。
 清冶郞が亡くなってから、初めて流した涙であった。
 その日の中に、上屋敷から八重の姿が消えた。誰にも別れを告げず、ただ春日井にだけ暇(いとま)乞いをして屋敷を下がったのである。もとより、春日井は止めたが、八重の決意は固く、説得はできなかった。

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