
天空(そら)に咲く花~あのひとに届くまで~
第8章 哀しい別離
上屋敷をひっそりと出た八重がその脚で向かったのは、裁縫の師匠の住まいであった。かつて九歳から十六歳まで通った懐かしい場所でもある。
頼る身寄りのない八重にとって、上屋敷を出たからといって行く当てはないのだ。去年、町人の暮らしを見てみたいと清冶郞にせがまれて連れていったのは、親友のお智の家であった。
しかし、お智は既に昨年の九月に嫁ぎ、日本橋の蝋燭問屋三船屋の若内儀となっている。今は身重で、ふた月後には出産を控える大切な身であった。そんなお智の許にのこのこと顔を出せるはずもない。
―お智ちゃんもいよいよおっかさんになるのねぇ。
お智の幸せを歓びながらも、どこかで薄ら寒い風が心の中を吹き抜けるようだ。
まるで自分だけが一人取り残されてゆくような気持ちがしてならないのは事実だった。八重の父絃七が吉原の白妙花魁と心中事件を起こしたときも、裁縫の師匠おさんは、八重への態度を変えなかった数少ない知り合いの一人であった。
父の弔いは幕府でもきつく禁じられている相対死にということで、大店の主人とも思えぬほど、ひっそりと慎ましやかに行われた。
弔問に訪れたおさんは胸を叩いて豪儀に言ったものだ。
―何か困ったことがあったら、いつでも相談に乗るからね。
八重が御殿奉公に上がるために挨拶に行ったときも、八重を抱きしめて別れを惜しんでくれた。血の繋がった伯父弐兵衛やその女房おすみなどよりは、よほど情を見せてくれた女だったのだ。
頼る身寄りのない八重にとって、上屋敷を出たからといって行く当てはないのだ。去年、町人の暮らしを見てみたいと清冶郞にせがまれて連れていったのは、親友のお智の家であった。
しかし、お智は既に昨年の九月に嫁ぎ、日本橋の蝋燭問屋三船屋の若内儀となっている。今は身重で、ふた月後には出産を控える大切な身であった。そんなお智の許にのこのこと顔を出せるはずもない。
―お智ちゃんもいよいよおっかさんになるのねぇ。
お智の幸せを歓びながらも、どこかで薄ら寒い風が心の中を吹き抜けるようだ。
まるで自分だけが一人取り残されてゆくような気持ちがしてならないのは事実だった。八重の父絃七が吉原の白妙花魁と心中事件を起こしたときも、裁縫の師匠おさんは、八重への態度を変えなかった数少ない知り合いの一人であった。
父の弔いは幕府でもきつく禁じられている相対死にということで、大店の主人とも思えぬほど、ひっそりと慎ましやかに行われた。
弔問に訪れたおさんは胸を叩いて豪儀に言ったものだ。
―何か困ったことがあったら、いつでも相談に乗るからね。
八重が御殿奉公に上がるために挨拶に行ったときも、八重を抱きしめて別れを惜しんでくれた。血の繋がった伯父弐兵衛やその女房おすみなどよりは、よほど情を見せてくれた女だったのだ。
