夢のうた~花のように風のように生きて~
第2章 悲劇の始まり
「お嬢さまのお心の内、このみつはとうに存じ上げておりましたよ。お小さい頃から、今の旦那さまをお見かけする度に、私の後に隠れておいででしたものね。正直、先代さまより旦那さまとのご結婚を仰せいだされた折、よくぞお嬢さまがご承伏なさったものだと思うておりました」
おみつは、いまだにお千香を「ご新造さま」、「お内儀(かみ)さん」ではなく、「お嬢さま」と呼ぶ。お千香には、その呼び方がかえって嬉しかった。
「最初ははっきりとした理由もなく旦那さまを嫌う自分の方が悪いのだと思っていました。でも、おとっつぁんが亡くなってからのあの方のおふるまいを見ていたら、ますます、あの方が嫌になってしまいました」
お千香はか細い声で言った。
「でも、お嬢さま、そのようなことは滅多におっしゃってはいけませんよ。たとえ昔は奉公人とは申せ、今は、あの方がこの美濃屋の主、ご当主でいらっしゃるのですから」
「判っています。お前だから、こんなことも話せるのよ」
お千香はそう言って、淋しげに微笑んだ。
おみつは、そんなお千香を痛ましげに見つめた。赤子のときから我が乳を差し上げて育てたお千香は、おみつにとって我が子も同然の存在だ。幸せになって欲しいと心から願っている。
だが、幸せには縁遠い宿命を生まれながらに背負ったお千香であった。何故、先代の旦那さまは、お嬢さまが心から愛し信頼できる方を生涯の伴侶としてお選びになっては下さらなかったのか、と、おみつは口惜しい想いだった。
政右衛門は、定市が美濃屋の跡取りとしての器であると見抜いたものの、肝心の娘婿としてふわさしいかどうかという点については見誤ったようであった。
それに―、お千香は美しい。定市との意に添わぬ結婚生活が皮肉にもお千香の美貌に愁いを与え、よりいっそう臈長けたものにしていた。あどけない少女が時折かいま見せる大人の女の顔は、男を魅了するには十分すぎるだろう。定市が丁稚として奉公にきた当初から、お千香に恋していたのは知っていた。定市がお千香を見る熱っぽい視線を見れば、恋心は一目瞭然だった。
が、おみつは、そのまなざしの中に、憑かれたれたような狂気じみた感情が潜んでいることに不安を抱いていた。
おみつは、いまだにお千香を「ご新造さま」、「お内儀(かみ)さん」ではなく、「お嬢さま」と呼ぶ。お千香には、その呼び方がかえって嬉しかった。
「最初ははっきりとした理由もなく旦那さまを嫌う自分の方が悪いのだと思っていました。でも、おとっつぁんが亡くなってからのあの方のおふるまいを見ていたら、ますます、あの方が嫌になってしまいました」
お千香はか細い声で言った。
「でも、お嬢さま、そのようなことは滅多におっしゃってはいけませんよ。たとえ昔は奉公人とは申せ、今は、あの方がこの美濃屋の主、ご当主でいらっしゃるのですから」
「判っています。お前だから、こんなことも話せるのよ」
お千香はそう言って、淋しげに微笑んだ。
おみつは、そんなお千香を痛ましげに見つめた。赤子のときから我が乳を差し上げて育てたお千香は、おみつにとって我が子も同然の存在だ。幸せになって欲しいと心から願っている。
だが、幸せには縁遠い宿命を生まれながらに背負ったお千香であった。何故、先代の旦那さまは、お嬢さまが心から愛し信頼できる方を生涯の伴侶としてお選びになっては下さらなかったのか、と、おみつは口惜しい想いだった。
政右衛門は、定市が美濃屋の跡取りとしての器であると見抜いたものの、肝心の娘婿としてふわさしいかどうかという点については見誤ったようであった。
それに―、お千香は美しい。定市との意に添わぬ結婚生活が皮肉にもお千香の美貌に愁いを与え、よりいっそう臈長けたものにしていた。あどけない少女が時折かいま見せる大人の女の顔は、男を魅了するには十分すぎるだろう。定市が丁稚として奉公にきた当初から、お千香に恋していたのは知っていた。定市がお千香を見る熱っぽい視線を見れば、恋心は一目瞭然だった。
が、おみつは、そのまなざしの中に、憑かれたれたような狂気じみた感情が潜んでいることに不安を抱いていた。