夢のうた~花のように風のように生きて~
第3章 手折られた花
【手折られた花】
離縁を申し出ながら、すげなく突っぱねられたその日から、ひと月ほどが経過した。
その日以来、お千香はおみつの言いつけを守った。けして定市と二人きりにはならぬように心がけた。
二月の初旬、定市の六代目襲名披露の儀が行われ、定市は名実共に美濃屋の正式な主となった。
暦ははや弥生に入ろうとしており、江戸でも梅の花が咲き始め、早い春の訪れを告げていた。
ある日、おみつが急に休みを取ることになった。嫁いだ娘がいよいよ産気づいたとかで、駆けつけることになったのだ。おみよには飾り職人の良人との間に二人の娘がいて、末の娘がお千香と同年であった。お千香が誕生の際、おみつは特に請われて、生まれたばかりの我が子を家に置いて、美濃屋に奉公に上がったのである。
おみつは、夕刻から翌日の昼過ぎまで暇を取っていた。お千香はここひと月ばかりずっとおみつと共に眠っていたこともあり、やはり心細さを感じずにはおれなかった。
その夜、お千香はなかなか寝付けなかった。早めに床に入ってみても、何故か眠れず悶々としている中に、いつしか微睡みに落ちたようだった。夜半にふと喉の渇きを憶え、眼が覚めた。
まだぼんやりとする頭で夜具の上に上半身を起こしたその時、枕許に人の気配を感じて、ハッと我に返った。
何者かがいる―。お千香は誰か人を呼ぼうと声を出そうとした。と、ふいに背後から大きな掌で口許を覆われた。
「静かにするんだ」
あろうことか、声の主は定市であった。
ゾワリと、背筋が冷たくなった。
一体、こんな真夜中に何をしに来たのだろう。不安と恐怖で身体が震えた。
お千香が無抵抗なのを勘違いしたものか、定市がそろそろと片方の手を動かした。いきなり胸のふくらみを包み込まれ、お千香は今度こそ悲鳴を上げた。
定市の手はなおも執拗に薄い寝間着越しに胸を触ろうとする。お千香は渾身の力で定市から逃れた。
「止めて下さい!」
こんな男には怯えた様を見せては駄目だ。本当は怖くてたまらなかったけれど、努めて平然としたふりを装い、強い語調で言った。
離縁を申し出ながら、すげなく突っぱねられたその日から、ひと月ほどが経過した。
その日以来、お千香はおみつの言いつけを守った。けして定市と二人きりにはならぬように心がけた。
二月の初旬、定市の六代目襲名披露の儀が行われ、定市は名実共に美濃屋の正式な主となった。
暦ははや弥生に入ろうとしており、江戸でも梅の花が咲き始め、早い春の訪れを告げていた。
ある日、おみつが急に休みを取ることになった。嫁いだ娘がいよいよ産気づいたとかで、駆けつけることになったのだ。おみよには飾り職人の良人との間に二人の娘がいて、末の娘がお千香と同年であった。お千香が誕生の際、おみつは特に請われて、生まれたばかりの我が子を家に置いて、美濃屋に奉公に上がったのである。
おみつは、夕刻から翌日の昼過ぎまで暇を取っていた。お千香はここひと月ばかりずっとおみつと共に眠っていたこともあり、やはり心細さを感じずにはおれなかった。
その夜、お千香はなかなか寝付けなかった。早めに床に入ってみても、何故か眠れず悶々としている中に、いつしか微睡みに落ちたようだった。夜半にふと喉の渇きを憶え、眼が覚めた。
まだぼんやりとする頭で夜具の上に上半身を起こしたその時、枕許に人の気配を感じて、ハッと我に返った。
何者かがいる―。お千香は誰か人を呼ぼうと声を出そうとした。と、ふいに背後から大きな掌で口許を覆われた。
「静かにするんだ」
あろうことか、声の主は定市であった。
ゾワリと、背筋が冷たくなった。
一体、こんな真夜中に何をしに来たのだろう。不安と恐怖で身体が震えた。
お千香が無抵抗なのを勘違いしたものか、定市がそろそろと片方の手を動かした。いきなり胸のふくらみを包み込まれ、お千香は今度こそ悲鳴を上げた。
定市の手はなおも執拗に薄い寝間着越しに胸を触ろうとする。お千香は渾身の力で定市から逃れた。
「止めて下さい!」
こんな男には怯えた様を見せては駄目だ。本当は怖くてたまらなかったけれど、努めて平然としたふりを装い、強い語調で言った。