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夢のうた~花のように風のように生きて~

第4章 運命の邂逅

 獲物を捕らえようとするハ虫類のように、酷薄な瞳がなおいっそう冷徹な光を帯びた。
部屋の障子戸を開けると、一挙に冷気が忍び込んでくる。乳白色の霧が一面を覆い尽くしている。そのため、視界が白い幕に遮られ、夜明け前の庭は霧の海の底に沈んでいた。
 定市は底光りのする眼で、白い庭を眺めていた。

 深い朝靄の中、一人の男が人気のない道をゆっくりと歩いている。男の周囲は深い朝霧に包まれていて、すぐ前方の景色さえ定かではない。
「全くなあ、捨て猫をまた捨てるなんて、後味の悪いことを何で俺がしなきゃならねえんだか」
 男はまだ若く、年の頃は二十二、三歳ほど、長身の美男である。だが、ぼやきながら頭をかくその仕草は、まるで悪戯っ子のようだ。
 男の名は徳松。若いけれど、なかなか腕の良い大工と評判で、気難しいことでは知られた棟梁留造の下で働いている。徳松は江戸の町外れの裏店に一人住まいしており、大家の
伊東(いとう)竹(ちく)善(ぜん)は町医者を生業(なりわい)としている。
 この竹善は大の酒豪であることを除けば、気も良くて腕も良いと二拍子揃った医者なのだが、他にもう一つ、困った癖がある。というのも、捨て猫をいずこからともなく拾ってくるのである。竹善自身も同じ裏店の一角に住まいしているが、既に四畳半の狭苦しい部屋はおさまりきらぬほどの飼い猫で溢れ返っているのだ。
 昨夜も酔っぱらって縄暖簾から良い機嫌で帰宅した竹善、小脇に後生大事そうに捨て猫を抱えていた。しかし、十匹の猫を抱える身では、流石にこれ以上は飼えないことに気づき、やむなく捨てられていた場所に戻してくることになった。その役目を何故か徳松が引き受けることになってしまったのである。
 いつもこうなのだ。他人が嫌なことを知らぬ中に引き受けさせられているのが徳松という男であった。見た目は近寄りがたいほどの美男でありながら、内面は涙もろくてお人好し、正義感は人一倍強いときている。
「先生もちったあ考えりゃア良いのによ。今でさえニャーニャーと小うるさくて仕様がねえのに、この上飼い猫増やしてどうするってえんだよなあ」
 そうはぼやいてみても、つい今し方、小さな稲荷社の祠の前に置き去りにしてきた哀れな子猫のことを思い出せば、自ずと気分が沈んでくる。

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