
夢のうた~花のように風のように生きて~
第5章 花塵(かじん)
こんなところに医者など住んでいただろうか。お千香は訝しく思い、しきりに記憶を手繰り寄せようとした。成長してからは滅多と来ることはなかったけれど、子どもの時分はよく両親に連れられて遊びにきていた懐かしい場所だ。
だが、いくら考えても、この付近に医者などいなかった―。それとも、最近になって医者が移り住んできたものか。
いや、とにかく、そんなことよりも徳松の容態を確かめるのが先だ。お千香は逸る心を抑えた。医者の住まいがどこなのか駕籠かきに訊ねようとする前に、駕籠は猛烈な速度で走り去っていった。
お千香は唖然として駕籠が走り去ってゆくのを眺めた。その時。
ふいに背後から抱きすくめられた。
「―!」
お千香は狼狽して抵抗しようとした。が、すぐに口許を手拭いのようなもので覆われ、声を出せなくなってしまった。つんとする刺激臭のようなものが鼻腔に入り込んできたかと思うと、くらりと視界が揺れた。頭の芯が痺れ、意識がフウと遠のいてゆく。
それでもなお、残った力で抗おうとすると、布がいっそう強く押しつけられ、息もできなくなった。お千香の意識はそのまま暗い闇の中に飲み込まれていった。
また、夢を見ていた。
いつもと同じ夢だ。暗闇の中を何ものかに追われ、逃げようと懸命に駆けている。
いくら逃げようとしても、ついには追いつかれてしまう。振り向いた刹那、そこにあるのは、けして逢いたくはない定市の顔だった。
まるで重くのしかかられているような圧迫感に、お千香は喘いだ。
―苦しい、助けて。
自分の上にのしかかる物を何とか押しのけようと、めくら滅法に手を振り回してみても、ビクともしない。
あまりの苦悶にもがき、声を上げた。
次の瞬間、突然、意識が戻った。まだ頭はじんと痺れているようだが、眼はちゃんと見える。だが、眼を開いた刹那、お千香は、これが現(うつつ)のこととは信じられなかった。
自分は一糸まとわぬ姿で紅絹の布団に転がっていて、その上に定市が乗っていた。両手は上でまとめて縛られている。
「あ―」
お千香は絶望的な気持ちで定市の顔を見上げた。
だが、いくら考えても、この付近に医者などいなかった―。それとも、最近になって医者が移り住んできたものか。
いや、とにかく、そんなことよりも徳松の容態を確かめるのが先だ。お千香は逸る心を抑えた。医者の住まいがどこなのか駕籠かきに訊ねようとする前に、駕籠は猛烈な速度で走り去っていった。
お千香は唖然として駕籠が走り去ってゆくのを眺めた。その時。
ふいに背後から抱きすくめられた。
「―!」
お千香は狼狽して抵抗しようとした。が、すぐに口許を手拭いのようなもので覆われ、声を出せなくなってしまった。つんとする刺激臭のようなものが鼻腔に入り込んできたかと思うと、くらりと視界が揺れた。頭の芯が痺れ、意識がフウと遠のいてゆく。
それでもなお、残った力で抗おうとすると、布がいっそう強く押しつけられ、息もできなくなった。お千香の意識はそのまま暗い闇の中に飲み込まれていった。
また、夢を見ていた。
いつもと同じ夢だ。暗闇の中を何ものかに追われ、逃げようと懸命に駆けている。
いくら逃げようとしても、ついには追いつかれてしまう。振り向いた刹那、そこにあるのは、けして逢いたくはない定市の顔だった。
まるで重くのしかかられているような圧迫感に、お千香は喘いだ。
―苦しい、助けて。
自分の上にのしかかる物を何とか押しのけようと、めくら滅法に手を振り回してみても、ビクともしない。
あまりの苦悶にもがき、声を上げた。
次の瞬間、突然、意識が戻った。まだ頭はじんと痺れているようだが、眼はちゃんと見える。だが、眼を開いた刹那、お千香は、これが現(うつつ)のこととは信じられなかった。
自分は一糸まとわぬ姿で紅絹の布団に転がっていて、その上に定市が乗っていた。両手は上でまとめて縛られている。
「あ―」
お千香は絶望的な気持ちで定市の顔を見上げた。
