
夢のうた~花のように風のように生きて~
第5章 花塵(かじん)
五十を過ぎようかという茂平の眼には涙が浮かんでおり、他の者たちも皆、痛ましげに変わり果てたお千香を見守った。
お千香の傍に終始付き添うのは、むろん乳母のおみつである。おみつは泣きながら、お千香の髪を撫でた。
「お労しい、何故、こんなことに」
すべては一年前の夜、おみつが留守をした隙に起こったのだ。もし自分があの夜もお千香の傍について眠っていてやれば、お千香が定市に手込めにされることもなったはずだ。
おみつは、我が子とも思って大切に育ててきたお千香が不憫でならなかった。
それにしても、何ゆえ、定市は、お千香がこんなに衰弱するまで放っておいたのか。
おみつは定市を恨んだ。事ここに至り、美濃屋の奉公人たちは、今戸の寮に主が囲っていたという女がお千香であることを知った。
むろん、定市は何も言わなかったが、大八車を引いて今戸までお千香を迎えにいったのは、美濃屋の手代二人であった。手代たちは口々に今戸の寮からお千香を運んで出てきたときの様子を語った。
どうやら、お千香は寮の奥まった一室に閉じ込められていたらしい。手代がそう話すと、一同は愕き呆れると共に、定市のお千香への並外れた執心を空恐ろしく思った。
手代頭であった頃は、ただ寡黙で真面目な若者といった印象しかなかった定市には実は偏執狂的な意外な一面があったのだ。
今戸の寮番は口のきけぬ老爺が一人ひっそりと暮らしているだけだし、寮番から秘事が露見することもなかった。何故、定市がわざわざ女房であるお千香を今戸の寮に住まわせる必要があったのか。その点については様々な憶測が乱れ飛んだ。
大体、お千香の失跡自体が謎に包まれていたのだ。とはいえ、お千香が定市を嫌っていたことも奉公人たちは知らぬわけではない。ましてや、あの運命の夜、お千香の寝間から悲鳴や助けを求めて泣き叫ぶ声が洩れていたのを耳にしていた女中もいたのだ。
あの夜、お千香の身に何が起こったかを推測するのは容易であった。ましてや、お千香が失踪したのがその翌朝となれば、原因がそも誰に―他ならぬ定市にあることは見当がつく。
愕くべきことに、一年ぶりに戻ってきたお千香の腹は膨らんでいた。まだ、たいして目立ちはしないが、身ごもっていることは明らかだ。その事実からも、お千香が今戸でどのような日々―扱いを受けていたのかは、おおよその推量はできた。
お千香の傍に終始付き添うのは、むろん乳母のおみつである。おみつは泣きながら、お千香の髪を撫でた。
「お労しい、何故、こんなことに」
すべては一年前の夜、おみつが留守をした隙に起こったのだ。もし自分があの夜もお千香の傍について眠っていてやれば、お千香が定市に手込めにされることもなったはずだ。
おみつは、我が子とも思って大切に育ててきたお千香が不憫でならなかった。
それにしても、何ゆえ、定市は、お千香がこんなに衰弱するまで放っておいたのか。
おみつは定市を恨んだ。事ここに至り、美濃屋の奉公人たちは、今戸の寮に主が囲っていたという女がお千香であることを知った。
むろん、定市は何も言わなかったが、大八車を引いて今戸までお千香を迎えにいったのは、美濃屋の手代二人であった。手代たちは口々に今戸の寮からお千香を運んで出てきたときの様子を語った。
どうやら、お千香は寮の奥まった一室に閉じ込められていたらしい。手代がそう話すと、一同は愕き呆れると共に、定市のお千香への並外れた執心を空恐ろしく思った。
手代頭であった頃は、ただ寡黙で真面目な若者といった印象しかなかった定市には実は偏執狂的な意外な一面があったのだ。
今戸の寮番は口のきけぬ老爺が一人ひっそりと暮らしているだけだし、寮番から秘事が露見することもなかった。何故、定市がわざわざ女房であるお千香を今戸の寮に住まわせる必要があったのか。その点については様々な憶測が乱れ飛んだ。
大体、お千香の失跡自体が謎に包まれていたのだ。とはいえ、お千香が定市を嫌っていたことも奉公人たちは知らぬわけではない。ましてや、あの運命の夜、お千香の寝間から悲鳴や助けを求めて泣き叫ぶ声が洩れていたのを耳にしていた女中もいたのだ。
あの夜、お千香の身に何が起こったかを推測するのは容易であった。ましてや、お千香が失踪したのがその翌朝となれば、原因がそも誰に―他ならぬ定市にあることは見当がつく。
愕くべきことに、一年ぶりに戻ってきたお千香の腹は膨らんでいた。まだ、たいして目立ちはしないが、身ごもっていることは明らかだ。その事実からも、お千香が今戸でどのような日々―扱いを受けていたのかは、おおよその推量はできた。
