
夢のうた~花のように風のように生きて~
第5章 花塵(かじん)
お千香の手には今、縫いかけの産着がある。おみつに久しぶりに再会し、母の懐に抱かれるような安心感を憶えたせいであろうか、漸く、お千香の中で腹の子を我が子として認めることができるようになり始めていた。
定市に陵辱され続け、その果てに身ごもった子は、お千香にとって忌まわしい想い出を呼び起こす存在でしかなかったのだ。
それが、美濃屋に戻ってきて、お千香は遅まきながら母性本能に目覚めたのだった。
お千香はもう殆どできあがっている産着を愛おしげに見つめた。この小さな産着を見ているだけで、切ないような愛おしさが奥底から込み上げてくる。これを着る赤子は一体、どんな子だろうかと、この腕に抱きしめる日を待ち遠しく思えるようにさえなるのだった。
美濃屋に戻ってきて、良かったと思う。やはり、ここは、この家は、お千香にとって紛れもない生まれ育った場所であった。
赤子が誰に似ているか―、そのことについては、お千香は一切考えたくもなかった。定市そっくりの子なんて、想像したくもない。
美濃屋に帰ってきて以来、定市とは殆ど顔を合わせることもなく過ごしている。定市の方は大店の主人として色々と商用で忙しく、出かけてばかりいるようだ。夜は寄合とかで、寄合の後は吉原に繰り出しているようで、お千香は定市がこのまま吉原の女郎に夢中になってくれることを祈るばかりだった。
もうこれで、定市に指一本触れられることもないだろうと思うと、心の底から安堵感が込み上げてくる。時折、ふっとした隙に、徳松の笑顔が脳裏をよぎるけれど、徳松は既に遠い人であった。定市に穢され、あまつさえ、その子を身ごもった今、最早、徳松に合わせる顔すらない。
お千香は未練を振り払うように、首を振った。
その時、背後の襖が開いた。お千香は明るい声で言った。
「おみつなの?」
応(いら)えはない。訝しく思って振り返ったお千香の前に佇んでいたのは定市であった。
お千香の顔色が見る間に青ざめてゆく。
「まるで幽霊を見たような顔をしてるな」
定市が皮肉げに口許を歪めた。
「何か―ご用でしょうか」
声が、震える。
定市の眉がつり上がった。
「用がなければ、ここに来てはいけないのか?」
定市に陵辱され続け、その果てに身ごもった子は、お千香にとって忌まわしい想い出を呼び起こす存在でしかなかったのだ。
それが、美濃屋に戻ってきて、お千香は遅まきながら母性本能に目覚めたのだった。
お千香はもう殆どできあがっている産着を愛おしげに見つめた。この小さな産着を見ているだけで、切ないような愛おしさが奥底から込み上げてくる。これを着る赤子は一体、どんな子だろうかと、この腕に抱きしめる日を待ち遠しく思えるようにさえなるのだった。
美濃屋に戻ってきて、良かったと思う。やはり、ここは、この家は、お千香にとって紛れもない生まれ育った場所であった。
赤子が誰に似ているか―、そのことについては、お千香は一切考えたくもなかった。定市そっくりの子なんて、想像したくもない。
美濃屋に帰ってきて以来、定市とは殆ど顔を合わせることもなく過ごしている。定市の方は大店の主人として色々と商用で忙しく、出かけてばかりいるようだ。夜は寄合とかで、寄合の後は吉原に繰り出しているようで、お千香は定市がこのまま吉原の女郎に夢中になってくれることを祈るばかりだった。
もうこれで、定市に指一本触れられることもないだろうと思うと、心の底から安堵感が込み上げてくる。時折、ふっとした隙に、徳松の笑顔が脳裏をよぎるけれど、徳松は既に遠い人であった。定市に穢され、あまつさえ、その子を身ごもった今、最早、徳松に合わせる顔すらない。
お千香は未練を振り払うように、首を振った。
その時、背後の襖が開いた。お千香は明るい声で言った。
「おみつなの?」
応(いら)えはない。訝しく思って振り返ったお千香の前に佇んでいたのは定市であった。
お千香の顔色が見る間に青ざめてゆく。
「まるで幽霊を見たような顔をしてるな」
定市が皮肉げに口許を歪めた。
「何か―ご用でしょうか」
声が、震える。
定市の眉がつり上がった。
「用がなければ、ここに来てはいけないのか?」
