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夢のうた~花のように風のように生きて~

第5章 花塵(かじん)

「いやー」
 お千香は身をよじった。
 と、丁度部屋に入ってきたおみつが叫び声を上げた。
「旦那さま、何をなさいます?」
「見てのとおりだ。お千香を私の部屋に連れてゆく」
「お待ち下さいませ。今、お嬢さま―お内儀(かみ)さんのお身体にご負担がかかれば、お生命にも拘わります。お医師もそう申されたとお聞きしています。どうか、どうか、今回は、おとどまり下さい」
 おみつは必死の形相で定市に取りすがった。この前はお千香を守れなかったけれど、今度こそ生命に代えても、お千香の身を守るのだと、おみつは一途に思い詰めていた。
「煩いッ」
 定市が着物の裾を掴むおみつを脚で蹴り上げた。
「あっ」
 おみつが悲鳴を上げて転がる。その拍子に頭を打ち付けたらしく、動かなくなった。
「おみつ、おみつ?」
 お千香が泣きながら乳母の名を呼んだ。
「人殺しッ、放して、おみつが、おみつが」
 お千香は懸命におみつに手をさしのべた。
「そんなことはどうでも良い。お前は私と一緒に来るんだ」
 お千香は定市に担がれたまま、主部屋へと連れてゆかれた。途中、廊下ですれ違った女中が愕いたように眼を見開いたが、定市に睨まれ、慌てて頭を下げて通り過ぎていった。
 泣き叫ぶお千香を定市は昼日中から寝間に連れ込もうとしている。その様子は誰が見ても尋常ではなかった。
 主部屋の手前で、大番頭の茂平が色を失って駆けつけてきた。大方、あの若い女中が知らせたのに相違ない。
「旦那さま、何をなさるおつもりですか」
 かつては大番頭として手代頭の定市にも睨みをきかせた茂平だが、いかにせん、今は定市は美濃屋の主である。
 腰を低くして訊ねると、定市が鼻で嗤った。
「知れたこと、お千香を部屋に連れてゆくのだ。それが、どうかしたか?」
「旦那さま、お内儀さんは今、大事なお身体にございます。何より、お内儀さんに宿っておられるのは、旦那さまのお子さまではありませんか。どうか、何とぞ、今日だけはお許し下さいませ」

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