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夢のうた~花のように風のように生きて~

第5章 花塵(かじん)

 定市がお千香を抱くつもりなのは明らかだ。茂平は何とか定市に翻意させようと、懸命に取りなした。気遣わしげにお千香を見ると、定市に担がれたお千香が茂平に縋るような眼を向けた。
「茂平―」
 その瞳には涙が一杯溜まっている。
「旦那さま、どうか、今回ばかりはお内儀さんをそっとしておいて差し上げて下さいませんか」
 茂平はもう一度説得を試みようとした。
「乳母といい、お前といい、こうるせえ奴らばかりだな」
 定市が憮然とした面持ちで言い、顎をしゃくった。
「お前を呼んだ憶えはない、下がりなさい。夕刻、深川で寄合があるから、出かける。それまでは誰もここに近づかないようにと申し伝えておいてくれ」
「―かしこまりました」
 茂平が悔しげな表情で頭を下げた。

 ひんやりとした畳の感触がむき出しの素肌に触れ、お千香は身震いした。
 涙の滲んだ眼に、欲望で双眸を薄く曇らせた定市の貌がぼやけていた。
 寝間に連れ込まれたお千香の着物を定市は狂ったように脱がせていった。
「お千香、お前も茂平と同じで、私を所詮奉公人上がりだと侮っているんだろう」
 間近に迫った定市が苛立った声で言う。
 お千香は夢中で首を振った。
「だが、まぁ良い。私は今やこの店の正真正銘の主、美濃屋の身代とお前と二つとも手に入れた。お前はずっと私の物だ」
 熱を宿した唇がお千香の唇を塞いだ。
 吐息が首筋にかかるのを、お千香は唇を噛みしめて耐えた。
 涙が止まらない。美濃屋に帰ってきて、やっと穏やかで静かな日々を過ごせると思っていたのに、それは儚い夢にすぎなかった。
 本当に、自分の居場所はどこにもないのだろうか。どこまで逃げれば、この男の手の届かぬ場所にゆけるのだろう。
―また捕まってしまった―。
 お千香の眼から溢れた涙が頬をつたう。
 次の瞬間、深く強く刺し貫かれ、お千香はか細い身体を弓なりにのけぞらせた。
 形の良い唇から、あえかな声が洩れる。
 定市は耐えかねたように、その花の唇を塞いだ。

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