
夢のうた~花のように風のように生きて~
第5章 花塵(かじん)
その夜半、寄合に出た定市は、深川の料亭を後にしようとしていた。供についてきたのは、手代の平助、かつて丁稚として大番頭の茂平には算術算盤、読み書き、商人としてのいろはを叩き込まれた仲間でもある。
平助が提灯で足許を照らし、その後ろを定市が歩く。定市の両腕には後生大切に抱えている品々があった。平助に持たせようともせず自ら抱えて歩くとは、よほど大切なものに相違ない。
静まり返った夜の道を少し歩いたところで、向こうから駆けてくる人影を認めた。
「旦那さま、旦那さま」
脱兎のように走ってくるのは、やはり手代の知次郎である。
「どうしました、何かあったのかい」
いかにも大店の主らしい鷹揚な物言いで訊ねると、知次郎は息を切らしながら訴えた。
「お内儀さんが、大変でございます。とにかく、早くお帰り下さいまし」
どちらかといえば普段からのんびりとした知次郎が今日ばかりは切羽詰まった様子だ。その緊張ぶりに、ただ事ではないと悟った。
平助と共に夜の中をひた走りに走って戻ってくると、大番頭茂平が出迎えた。沈痛な表情で頭を垂れ案内したのは、奥のお千香の部屋だった。
お千香は居間に敷いた布団に横たわっていた。花のような顔に、白い布が掛かっている。
「何故、こんなことになった。お前らがついていながら、どうして、お千香を死なせた?」
定市が怒りに震える声で茂平に言った。
茂平は、お千香を赤ん坊の頃から知っている。老いた大番頭は、定市から少し離れた場所にうなだれて座っていた。
「私どもの落ち度は深くお詫び申し上げます。しかしながら、どうしようもありませんでした。お内儀さんは、おん自らお生命を絶たれたのです」
刹那、定市が信じられないといった表情で、茂平を見た。
「嘘を言え、お千香が自害などするはずがない。もうじき、赤ん坊が生まれるはずだったんだぞ?」
茂平はうつむいたまま、低い声で応えた。
「このお部屋で、懐剣で喉をひと突きにされておりました。暗くなったので、行灯の明かりを入れにきた女中が発見したのですが、そのときには、もう事切れておられました。お覚悟の上のことのようで、白装束に身を包まれて―見事なご最後でございました」
平助が提灯で足許を照らし、その後ろを定市が歩く。定市の両腕には後生大切に抱えている品々があった。平助に持たせようともせず自ら抱えて歩くとは、よほど大切なものに相違ない。
静まり返った夜の道を少し歩いたところで、向こうから駆けてくる人影を認めた。
「旦那さま、旦那さま」
脱兎のように走ってくるのは、やはり手代の知次郎である。
「どうしました、何かあったのかい」
いかにも大店の主らしい鷹揚な物言いで訊ねると、知次郎は息を切らしながら訴えた。
「お内儀さんが、大変でございます。とにかく、早くお帰り下さいまし」
どちらかといえば普段からのんびりとした知次郎が今日ばかりは切羽詰まった様子だ。その緊張ぶりに、ただ事ではないと悟った。
平助と共に夜の中をひた走りに走って戻ってくると、大番頭茂平が出迎えた。沈痛な表情で頭を垂れ案内したのは、奥のお千香の部屋だった。
お千香は居間に敷いた布団に横たわっていた。花のような顔に、白い布が掛かっている。
「何故、こんなことになった。お前らがついていながら、どうして、お千香を死なせた?」
定市が怒りに震える声で茂平に言った。
茂平は、お千香を赤ん坊の頃から知っている。老いた大番頭は、定市から少し離れた場所にうなだれて座っていた。
「私どもの落ち度は深くお詫び申し上げます。しかしながら、どうしようもありませんでした。お内儀さんは、おん自らお生命を絶たれたのです」
刹那、定市が信じられないといった表情で、茂平を見た。
「嘘を言え、お千香が自害などするはずがない。もうじき、赤ん坊が生まれるはずだったんだぞ?」
茂平はうつむいたまま、低い声で応えた。
「このお部屋で、懐剣で喉をひと突きにされておりました。暗くなったので、行灯の明かりを入れにきた女中が発見したのですが、そのときには、もう事切れておられました。お覚悟の上のことのようで、白装束に身を包まれて―見事なご最後でございました」
