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夢のうた~花のように風のように生きて~

第5章 花塵(かじん)

 最後は声を詰まらせながら茂平は語った。
 定市の手から、ずっと大事に抱えてきた品々が落ちた。物言わぬお千香の枕辺に落ちて転がったのは、数えきれぬほどの子どもの玩具であった。でんでん太鼓に人形、様々な幼児の歓びそうなおもちゃが所狭しと転がっていた。
 定市は寄合の前に、玩具屋で子どもの玩具を腕に抱えきれないほど買い求めていたのである。
―お子さまは、男のお子さんですか、女のお子さんですか?
 男児、女児の玩具を取り混ぜて買う定市に、店主が訊いてきたものだった。
 定市はそれに対しては微笑するだけだった。
 だが、その瞬間の定市の表情は、紛れもなく、まもなく若い父親となる歓びに溢れていた。
「―旦那さま、旦那さま?」
 ずっと呼ばれていたのにも気づかず、定市は虚ろな視線を茂平に向けた。生まれてくる赤子のために玩具を買ったのは、今日の夕刻のことだった。まだ早いとは思ったけれど、もしかしたら、お千香も少しは歓んでくれるかもしれないと甘い期待に胸を弾ませた。
 それなのに、赤ん坊はもういない。お千香までもいなくなってしまった。
「旦那さま、お内儀さんがずっと最後まで握りしめておいでになったものです」
 茂平がそっと差し出したのは、一枚の小さな産着だった。―今日、お千香が大切そうに縫っていたものだ。
 定市は手渡されるままに産着を手にした。
 その産着を茫然として見つめる定市が呟いた。
「お前は、そんなに私から逃げたかったのか」
 定市が産着を握りしめて男泣きに泣いた。
 お千香の部屋の前の蝋梅は、その夜も艶やかな花を咲かせていた。


 お千香の死から二ヶ月後。
 かつてお千香が寝起きしていた部屋の縁側に座り、おみつが文を読んでいた。
 庭には蝋梅に代わって、薄紅色の桜の花が今を盛りと咲き誇っている。時折春の風が吹くたびに、淡い紅色の花びらが舞い、それはひらひらと漂い、おみつの肩や髪に舞い降りた。

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