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夢のうた~花のように風のように生きて~

第2章 悲劇の始まり

 政右衛門と母は当時としては珍しい熱烈な恋愛結婚であったという。母は小さな紙問屋の娘であったのだが、政右衛門がふと通りかがりでその店に立ち寄って買い物をしたことが始まりであった。丁度店番をしていた母に、父はひとめ惚れをしたのだ。
 美濃屋ほどの大店に釣り合いの取れるような店ではなったけれど、堅い商いで羽振りも悪くはない紙屋だったので、さしたる反対もなく、この恋は実った。政右衛門が二十一、お千香の母おさとが十七のときであった。夫婦は長らく子に恵まれず、おさとは結婚の翌年とその二年後に立て続けに流産するという哀しい体験をすることになる。夫婦共にもう子宝は授からぬと諦めた矢先、七年目にお千香が生まれた。
 お千香は生来、身体が弱く、殊に幼時にはよく風邪を引いて熱を出した。医者は、〝この子は成人するまで元気に育つかどうか判らない〟と言い、それを聞いたおさとは泣き崩れた。両親をいたく心配させたものの、お千香は長ずるにつれて丈夫になり、何とか政右衛門もおさとも愁眉を開くに至ったのである。
 おさとが亡くなったのは、お千香が十歳のときであった。お千香がまだ己れの苛酷な運命について何も知らぬ頃である。政右衛門は早くに母親を失った一人娘を憐れみ、掌中の玉と可愛がった。いつか我が身も大人になったら、父と母のように愛し合い、幸せな家庭を築くのだと信じて疑いもしなかったお千香だった。が、十二歳の時、父政右衛門から、そのことについて、はっきりと教えられた。
 自分は生涯、誰とも結婚することはできない。両親のように幸せな恋や結婚を望み、夢見ることは永遠にできないのだと。
 母は政右衛門の他にも何人もの男から求婚をされたというほどの佳人であった。お千香は母親似で、少女の頃から御所人形が歩き出したように愛らしかった。十六歳になった今は、しっとりと朝露を帯びた蕾のような可憐な美貌は人をひとめで惹きつける。
 お千香は小さな吐息を洩らし、立ち上がった。ここにいると、次々に父や母のこと、両親との楽しかった想い出ばかりを思い出してしまう。想いを振り切るように首を振り、仏間を出ると、廊下を隔てて向かい側の自室へと籠もった。

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