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いつくしむ腕

第3章 こころの修正液

その日のことは、二度と思い出したくない。

バスルームから出てきた優太を 何食わぬ顔(出来ていればの話だが)で「おかえり」と迎えた。
「あー、やっぱり風呂は気持ちいい」
心底さっぱりしたような口調だった。
わたしはその真逆の気持ちで 心にもない笑顔を作る。
なんだ、こんな演技どうってことない。
そう自分に言い聞かせて、その後の数時間を過ごしていた。
一緒に笑っていた、のに。
突然それは訪れた。
胸の奥から込み上げる強烈な吐き気、気が狂いそうなほどの不安。
自我を保つのが精一杯になったわたしは、必死にこの場から逃げる理由を探した。
とにかく外の空気を吸わなければ。
「買い物、いって、くる」
そう言って鞄をひっつかんで立ち上がったわたしを見て、
優太は目を丸くした。
時計は0時をまわっていた。
「こんな遅くに、急にどうしたの」
「明日の朝ごはん、買ってこなきゃ」
彼の目を見ずにそそくさと玄関へと向かった。
わたしは嘘をつくのが下手だから、早く行かなくちゃ。
早く青い携帯のいない場所に行かなくちゃ。
ローヒールのパンプスを突っ掛け、足早に玄関を出た。
靴音と息遣いが、やけに耳に響いた。

外は真っ暗。
いつもなら恐怖を感じるのに、なぜだかその時ばかりは至極安堵した。
誰もいない、暗い歩道。
わたしだけが歩くみち。
それはとても孤独で、静かで、冷たい夜。
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