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第3章 哀願

学徒出陣。
そこまで深い知識はありませんでした。
その頃は、遠い場所のことかと、何処か他人事でした。
ユキ様は、私には何も言ってはくださいませんでした。
私に言ったところで、状況が変わるとは思えませんので、当然なのでしょう。
そして出陣前、最後に会った時に渡されたのです。
題名は 勿忘草。
そしてユキ様は仰いました。

「これは返さなくて構わない」

今までも本はいくらでも借りてきました。
気に入った本は、伝えればくださいました。
なかったのです。今までは。
借りる際にそう言われたのは初めてでした。
私はつい本を受けとる時に、手に力を込めてしまったのです。
小振りな本を持つ、ユキ様の手と一緒に。
考えてみれば、その時が初めてユキ様に触れたときだったような気がします。
ユキ様の手は、思っていた以上に暖かく、儚いものでした。
ふと離してはいけないような気がして戸惑いましたが、ユキ様が余りに綺麗に微笑むので、途端に照れ臭くなり手を引っ込めてしまったのです。
結局、それ以上変わった様子はなく、いつものようにユキ様は帰られて行ったのでした。
もう2度と会えない。
不思議なことに、全くそのような気はしなかったのです。
何故ならば、ユキ様に触れてから、胸の奥がポカポカと暖かくなっていたからなのです。

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