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青い桜は何を願う

第8章 懺悔は桜風にさらわれて


 流衣は今度こそ妃影を離れて、階下へ向かう。

 身体が悪霊にでも乗っ取られたようだ。階段を降りることがこれだけ辛いものだなんて、考えたこともなかった。

 携帯電話を開けて、あの従順な執事の、否、密やかに兄と呼んでいる青年の電話番号を探す。

 外を歩ける気がしない。せめて、ユリアがあの日カイルの口から聞いた海までの道のりは、行夜の車に頼るより他にない。

* * * * * * *

「同胞の恋人を寝取って、どんな気分だった?」

「莢、あの時は仕方なかったの!リーシェ様も私も、どうしようもなくなって──」

「「至高の祈り」を手に入れて、天祈の王女に返り咲こうとでも考えた?」

「っ……」

 氷華と天祈、相容れない両国の高貴な血を引く人間が、万が一にも心と身体を通わせた時、奇跡の祈りを手に入れられる。天祈の皇族の血を引く人間の魂に、傾国の花にも優る力が宿る。

 それは氷桜にまつわる伝承の中で、とりわけ有名なものだった。

「あんなの、……迷信だよ。実際、何も起きなかったし」

「さくらちゃん、デラのこと覚えてる様子じゃないでしょ」

「っ……」

「覚えていたら、感じるはずだよ。私がこのはに惹かれたみたいに」

 心臓が、氷水を浴びたみたいに温度を失ってゆく。

 思い当たる節はある。

 このははさくらと面識が出来て以来、舞い上がって歯止めが利かなくなった。猛アタックしていた。距離は確実に縮まっていた。

 それなのに、さくらにデラの名前を一言呼ばれることもなかったばかりか、挙げ句に避けられるようにまでなった。

「デラの気持ちは、リーシェ様を離れていたから」

「そんなことない!」

「じゃあ、リーシェ様がデラを思い出したくもなくなる理由が、他にあるって?」

「そんなこと、……。莢こそ、何であの戦の後のことまで知ってるの?!」

 このははリーシェに生涯を預けるつもりでいた。
 だが、出来なかった。ユリアを殺せば容疑は晴れる。兵士達の命令に、デラの答えは決まっていた。そして、最期の瞬間は、初めて自分を受け入れてくれた少女と一緒に滅んでゆける幸福に、溺れきっていた。

 ああ、それでもさくらに会いたい。話したい。昼休みに待ち合わせしたり、一晩中一緒にいたり、もっともっと、終わることのない思い出を積み重ねてゆきたい。

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