テキストサイズ

青い桜は何を願う

第8章 懺悔は桜風にさらわれて


 罪な恋人だ。
 否、恋人と呼び合ってこそいても、その関係は恋にも満たない。

 香苗は、莢にとって都合の良い少女でしかない。莢もまた、香苗にとって淋しさを埋めてくれる存在でしかない。ただ離れられない。それだけだ。

「莢、莢。昼だよー」

 莢が睡眠薬と称して常用している錠剤の正体に、香苗は漠然と気付いていた。
 投与した人間を底なしの悪夢から薬物は、おそらく、使い様によっては国一つ滅ぼせなくはないという、伝説の植物から出来たドラッグだ。

 一体、莢は何をしようとしているのだ。

 おそらく莢は、初めからこうなることを予測していた。意識をなくしたのは薬の接種による作用だ。しかも、些か乱暴な処方所以だ。
 
 何も知らない香苗に事情もろくに話してくれないで、こんな風に恐怖に等しい不安だけ与えてくれる莢が、憎らしい。

 愛おしすぎて、憎らしかった。

 愛してはいけない。それが香苗の、莢の側にいられるための掟だ。さすれば深入りも、詮索も禁忌だ。

 ふと、昨夜の莢のとりとめない睦言が、香苗の脳裏を掠めた。

『カナの乱暴な起こし方も嫌いじゃないけどさぁ』

 じかに官能が刺激される、莢の唇の感触が肌に蘇ってきた。香苗は条件反射的に拳を握った。

 柔らかな潮風の温度にも、莢を思い出させられる。香苗の感度は弄ばれる。

『たまにはお姫様の甘ーいキスで目覚めたいな』

 悪戯っぽく艶笑した莢の言葉は、今日のヒントだったのか。

 …──貴女より甘いキスが出来るやつなんて、世界中のどこを探してもいないわよ。

 意識不明の恋人に抗議しても無意味にせよ、香苗は莢をねめつけた。

 寝顔まで隙がない。どこまでも端正とれた恋人を、いっそ持ち帰って剥製にでもしたくなる。

「……おはよ」

 身を屈め、香苗は極上の花の蜜に惹かれた蝶同様、姫君とやらを気どってみせる。

 永遠に鳴りやまないような漣の音と、むせかえる春の花の甘辛い匂いに包まれて、少女達のシルエットが重なった。







第8章 懺悔は桜風にさらわれて─完─

ストーリーメニュー

TOPTOPへ