新‼経済・世相愚問放談
第48章 大日本帝国は、ファシズムだったのか?
そして第二次世界大戦中の日本はどうだったのでしょうか?
別に全然明治政府発足当時と変わらず民主主義でした
むしろ、一般国民に投票権が付与される様になりましたから、第一次世界大戦当時よりましなぐらいでした
大正デモクラシーのおかげで、色々な国民の権利が昭和初期にはそろい始めました
大正デモクラシー(たいしょうデモクラシー)とは、日本で1910年代から1920年代にかけて(概ね大正年間)に起こった、政治・社会・文化の各方面における民主主義の発展、自由主義的な運動、風潮、思潮の総称である。信夫清三郎『大正デモクラシー史』(1954年)がこの言葉の初出である。
(Wikiより抜粋)
第二次世界大戦中の大日本帝国は普通に民主主義でした
それは現在とは多少違いますが、間違っても当時の『ナチスドイツ』や『イタリアのムッソリーニ政権』とは全然違いました
もちろん、ファシズムによる独裁政権でも有りません
単なる『戦時特別体制』なだけだったのです
その証拠に東条内閣は、諸説あるにはありますが、普通に選挙で選ばれた内閣でした
ヘブライ大学の有名なユダヤ人教授、ベン・アミー・シロニー博士は、1982年に出した著書『天皇陛下の経済学』(光文社)の中で次のように書いていらっしゃいます
そもそもナチスドイツと戦時下の日本との最大の相違点は、両者の国内統治体制にみられます。
ドイツでは、政府、政党、秘密警察が、国民に権力をふるい、人々を裁判もせず投獄し、殺しました。
国民全体が、独裁者ヒトラーのもとで支配されており、独裁者の権力は、無限であり、その威光は、最高をきわめていました。
しかし、日本の場合はそうではありません。明治時代に発達した政治体制は、変わらず、憲法も廃止されずにそのまま維持され、帝国議会は、戦時中も事あるごとに開かれていました。昭和17年に、日本で普通選挙が行なわれるようになり、大政翼賛会の候補者に加えて多くの無所属議員が出馬し、当選しました。
非推薦で当選した主な議員は、三木武吉、三木武夫(のち首相)、赤尾敏、鳩山一郎(のち首相)、尾崎行雄(憲政の神様・議会政治の父)、斉藤隆夫(反軍演説)、中野正剛(右翼・のちに割腹自殺)、川島正次郎(のち自民党副総裁) 、笹川良一、西尾末廣(前・後の民社党初代委員長)らでした。