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新‼経済・世相愚問放談

第48章 大日本帝国は、ファシズムだったのか?

 ナチスと日本の政治姿勢の違いは、占領下の人々にどう対処したかによく現われている。日本は過酷な戦いを挑みながらも、少なくとも公式上の扱いは、まるで兄弟のようであった。

日本の声明、宣伝は、日中戦争を、まるで兄である日本が弟である中国に教訓を与えるために懲(こ)らしているのだと説明した。日本政府の目的は、占領下にあるアジアの国民との兄弟的な交わりをもつことであるといった。

このやり方は、ヨーロッパの、非アーリア人種を従属させ、奴隷にし、時には絶滅をはかるという、ナチスドイツの基本方式とは、まったく異なっていた。日本人が中国やフィリピンで、人道を逸した行為をした時でさえ、ナチスなみの計画的大量虐殺などという発想はみじんももっていなかった。この意味で、日本の大東亜共栄圏構想は、ドイツ第三帝国とは根本的に異なっていた。だからこそ、アジア諸国の民族主義運動の多くの指導者は、日本が西洋帝国主義との絆を断ち切ってくれるという確信のもとに、日本人に対し協力的であったのである。

東條は最高責任者であったが、彼はヒトラーの権威も権力ももっていなかった。東條は当たり前のように有力者となっていき、戦時中、批判が高まると、当たり前のように権力の座から引きさがった。

東條は国家の主権者でもなく、総司令官でもなかった。東條は陸軍や海軍の参謀本部に指図する権限はなく、自分の見解に反対の大臣たちを追放することはほとんど不可能であった。

東條は、ヒトラーやムッソリーニという同盟国の独裁者たちよりわずかな権力しかもっていなかっただけでなく、軍隊に命令を下すことのできたルーズベルトやチャーチルのような敵国の民主主義者たちの権力さえももっていなかった。スターリンや蒋介石と比べる必要は、もはやないであろう。


※『日本は第二次大戦中、正当な合法的方法で内閣が二度変わった唯一の主要戦闘国であった。』

ヒトラーやムッソリーニやスターリンが、暴動が起こることもなく、流血もなく、拘引されることもなしに、全面戦争の真っ最中に権力の座から降りることができようとは、誰が考えるだろうか。東條が辞職したときには、誰も殺されることも拘引されることもなかったのである。


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