テキストサイズ

新‼経済・世相愚問放談

第14章 歴史検証:関東大震災「朝鮮人大虐殺」の虚構

同時に一般朝鮮人への保護具体策が次々にとられました。市内の朝鮮人を千葉県習志野、および下志津の兵舎に収容し、衣食住と医療を安定させました。朝鮮人収容能力は1万5千人分にも達しました(これは収容能力であって、実際に収容された人数ではありません)
ところが、それさえ歩かされて「強制連行」されたと主張する史料が多いのです。自動車などあるはずがないではありませんか。市民への食糧、医薬品、警備に使う車さえこと欠き誰もが歩いていたのです。
新聞は手のひらを返したように、「鮮人団相愛会が無償で道路工事 誤解をとく為に奉仕」「鮮人に救はれた老婆」などという朝鮮人の“美談”を載せ始めましたが、「道路工事」というのは要するに道路の障害物を取り除く作業です。有料で震災のあとかたづけをする日本人がいたとしたら教えてほしいものです。
こうした一連の措置は、内務相兼帝都復興院総裁に就任した後藤新平の発案によるものでした。後藤は、「朝鮮人の暴動があったことは事実だが、このまま自警団にまかせて力で押しづぶせば、彼らはそのままでは引き下がらないだろう。その報復の矢先が万が一にも御上(皇室)に向けられたら大変なことになる」と、当時、警視庁官房主事であった正力松太郎に語ったといいます。やはり、皇太子暗殺の懸念が強かったのでしょう。
やむを得なかったとといえばその通りなのですが、こうして朝鮮人の暴動はなかったこと、あるいはデマだった、「流言蜚語」に惑わされたのだ、という虚構にすりかえられていったのです。

時代が変わっても、そうそう民族性は変わらない物ですね・・・

「強制連行されたニダ」「強制労働させられたニダ」・・・

開いた口が塞がりません

こんな非常時に、助けられてすらこの言い種です(怒)

しかも、やむを得なかったとは言え、日本政府はこの当時から事無かれ主義で朝鮮人に言われたい放題です、しかも朝鮮人が問題起こしたにも関わらず・・・

では、実際に日本人に殺害されたとする朝鮮人は何人なのか?

ストーリーメニュー

TOPTOPへ